【ヤクルト】青木宣親が現役引退会見で“もらい泣き”「愛を持って接してくれた」「たくさん叱ってくれた」村上宗隆が号泣
球界の安打製造機が今季限りでの現役引退を決断した。ヤクルトの青木宣親が9月13日、都内の球団事務所で現役引退会見を行った。 【動画】笑顔のベテラン!青木宣親が逆転のタイムリーを放つ 青木は2年目の2005年からシーズン202安打を放つと、打率「.344」で首位打者と最多安打のタイトルを獲得。この年、新人王にも輝いた。プロ野球史上初の2度のシーズン200安打以上を達成するなど、日本球界で輝かしい成績を残してきた。 青木は会見で「ほっとしています」と引退を決めた心境を述べ、「シーズン途中から今年は最後かなと思っていた。自分が思ったようなパフォーマンスをファンに見せることができない」と、決断した。 現役生活は21年。「21年間ということを思うと長いと感じるんですけど、気づいたら21年になっていた」とし、「家族の支えは大きい」と頷き、「いつまでも現役でやってる姿を見せたかった」と話した。 2011年のオフにはポスティングシステムを利用し、米大リーグのブルワーズに移籍。戦いの場を米国に移すと、2017年6月には日米通算2000安打を達成した。 2018年に日本球界に復帰。再びヤクルトのユニフォームを着ると、2021年に悲願の日本一を達成した。数々の実績を残してきた青木だが、「ヤクルトで日本一になったことが心に残っている。入団したときからヤクルトで、ヤクルトに対して愛着があった。心残りだったのが日本一。達成できて、ほぼほぼ自分がやりたいことは達成した」という思いがあったという。 ベテランになっても「若い自分の方から話しかけていった。自分を知ってもらって、会話が弾むようになった。距離が縮むようになった」といい、会見には山田哲人と村上宗隆も花束を渡しにやってきた。 山田は「クライマックス(シリーズ)で名古屋に入ったときにすぐに声かけてもらった」と、青木との思い出を振り返り、「1軍の世界はこういう世界だぞというのを、教えていただいた。たくさん会話させてもらった食事会が頭に浮かんだ」と話す。 オフには主砲の村上宗隆をはじめ若手選手とともに「チーム青木」を結成し、故郷の宮崎で自主トレを行ってきた。村上もその一人で、青木と対面すると思わず号泣。それを見て、青木はもらい泣きし、村上には「年々成長していった。幸せな野球人生を送ってほしい」と、エールを送った。 村上は「僕のことを愛を持って接してくれた。まだ若くて、いろいろミスだったり、人間的にもだめなことをたくさんしてしまったときに、面と向かってたくさん叱ってくれた」と、感謝の思いを述べていた。 早稲田大学出身で、大学時代から慣れ親しんだ「神宮の雰囲気がすごく好き」という青木。野球人生は「100点満点です。苦しいときもいいこともすべて。いいことばかりでは自分の人生楽しくない。自分を高めることができた。大きく成長していった気がする」と言い切った。 「やり残したことがない状況で現役生活を終わることができる」と、現役生活には終わりを告げるが、今後も大好きな野球に携わることになるだろう。青木宣親は永遠の“野球小僧”だ。 [文:別府勉]