間寛平が人生で一番苦しかった1982年 妻が撮り、娘が宝物だと言ってくれた一枚の写真
日に焼けた古いカラー写真がある。くたくたによれたアロハシャツを羽織る痩せた男は40年前の間寛平さん(72・お笑い芸人)。その傍らにはピンクのワンピースを着た当時3歳の長女、美代さんがパパの左手を握って佇んでいる。寛平さんは心に空虚を抱えたような暗い表情。幼い娘も笑顔は作れなかった。しかしこれは、寛平さんにとって生涯忘れられない大事な一枚なのだという。芸人仲間からも波瀾万丈の人生と評される寛平さん。切り取られたこの瞬間こそ、誰もが窺い知ることのできない運命の瀬戸際だった。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)
1982年、人生で一番苦しかった時。鳴門海峡で撮られた一枚の写真
――この写真はいつ、どこで撮影したんですか。 写真が撮られたのは、池田高校と広島商業が夏の甲子園で対決した年(1982年)。あの時が今までの人生で一番、苦しかった。ほんまにね、ほんまに、つらかった時です。鳴門海峡を渡るフェリーで、僕と娘が甲板に立って一緒に並んで撮った一枚ですわ。 いったいこれ、誰が撮ったんやろ? たぶん一緒にいた嫁やないかなと思いますけど、僕その時、借金で首が回らなくて、一番信用していた人にも裏切られるしで、なにがなんだかわからないような精神状態だったので、当時のことをあまりおぼえていないのかも。思い出したくないという気持ちも半分あるし、ただ、今でもはっきり言えるのは、苦しくて、苦しくてどうしようもなかったということですね。
――寛平さんは吉本新喜劇入りしてすぐに人気が出て、24歳の若さで座長に大抜擢。29歳の時、同団員で当時20歳の妻・光代さんと結婚。翌年には長女、その2年後には長男を授かって、傍から見たら順調だったのではないですか? 仕事はありましたし、おかげさまで家族には恵まれて、不甲斐ない僕のことをずっとサポートしてくれましたからその点はすごくラッキーやなあと思うんですけど、抱えた借金はまた別の問題で…。 若くても座長やから見栄も張らなあかんし、あの頃の芸人は飲む、打つ、買う。派手に遊びもします。僕が無知で、依頼を断りきれなかったのがいけないんですけど、先輩芸人の借金の保証人になり、その先輩たちにことごとく逃げられて、借り先が街金(まちきん)だったからすごい勢いで借金がふくらんでいく。返済せなあかんと寝る間も惜しんで仕事をしたんですけど、べらぼうに高い金利ですから全然減らない。で、借金取りが劇場に取り立てに来る、走って逃げる、毎日ヘトヘトです。 そんな状況に追い打ちをかけるように、地方巡業の帰り道に僕、居眠り運転して高校野球を応援に行くバスと衝突事故を起こしてしまい…。弱り目に祟り目とはこのことですわ。で、なんとか必死で弁償金をかき集めたら、そのお金をなんと友人に猫ババされてしまった。どん底の、さらにその下のどん底。さすがにもうダメだと思いましたね。自家用車に家族を乗せて、徳島にある相手先に謝罪に行ったあと、フェリーに乗って大阪へ戻るところでした。