「柔らかな反骨心」 関口宏という生き方/2 ライブ=現在(いま)にこだわる「テレビ屋」の矜持 青木理
しなやかにリベラルな情報・報道・討論番組『サンデーモーニング』を36年にわたって率いた関口宏氏。その知られざる素顔を青木理氏が描く注目の短期連載の第2回。自ら「テレビ屋」と称する関口氏独特の感覚とは何か? そこには「いま」と揉み合うジャーナリスティックな視線があった――。 ◇「ぶっつけ本番の言葉だからこそ、生きている」 自らを「テレビ屋」と称する関口宏さんが、60年に及ぶテレビ人生で最も影響を受けたのは――そう尋ねた際に挙げられた一冊の本『お前はただの現在にすぎない』が出版されたのは1969年である。 著者は萩元晴彦、村木良彦、今野勉。内容を端的に要約するのは難しいが、戦後に新メディアとして勃興したテレビとは何か、テレビには何が可能か、そしてテレビジャーナリズムはどうあるべきかを現場目線で青臭く思索した一冊であり、ある世代以上のテレビ人なら――いや、広くメディアに関わる者なら多くが一度は読んだろう、この国のテレビ論、メディア論、ジャーナリズム論の古典的名著のひとつといえる。 私も学生時代に貪(むさぼ)り読んだが、このテレビ論の背後には、同時代の政治情勢とメディア状況が横たわる。 著者のうち萩元や村木らは当時、TBSの局員としてドキュメンタリー番組の制作に携わっていた。なかでもベトナム戦争が泥沼化した67年には『JNNニュースコープ』の初代キャスターだった田英夫とともに北ベトナムを取材し、米国による北爆の実相を報じて名を馳(は)せる一方、こうした番組が時の政権や与党から「偏向」と怨嗟(えんさ)の眼差しを向けられていた。 翌68年には、成田空港建設をめぐって燃え上がった反対闘争をTBSのクルーが現地取材する中、反対派住民を取材用車両に同乗させたことが問題化し、政権と与党はここぞとばかりにTBSを攻撃した。直後には田英夫がキャスターを降板、成田取材陣は処分され、萩元や村木らは配置転換を命じられた。これを機にTBS闘争とも称される労働争議が巻き起こる。