「柔らかな反骨心」 関口宏という生き方/2 ライブ=現在(いま)にこだわる「テレビ屋」の矜持 青木理
私が関口さんとおつきあいしたのは最近の10年ほど、実に36年に及ぶ『サンデーモーニング』の歴史を振り返れば一時期にすぎないが、しかしその「テレビ屋」としての凄(すご)みの片鱗(へんりん)を幾度となく間近で目撃した。たとえば――。 これを明かすと誰もが驚くのだが、『サンデーモーニング』には事前の打ち合わせがほとんどない。毎週日曜の朝、コメンテーターら出演者がスタジオ入りするのは、午前8時のオンエア開始のわずか30分ほど前。司会席に座った関口さんは、その日扱うニュース項目ごとに誰がコメントするかを決めるだけで、どんなコメントをするかなど一切聞かない。そもそも番組には台本すらない。 ある日、私は関口さんに聞いた。「なぜ打ち合わせをしないんですか」と。「出演者がどんなコメントをするか、事前に確かめないと怖くないですか」と。 実際、多くのニュースや情報番組でもスタッフが事前に出演者と打ち合わせ、コメント内容を事細かに聞き出し、台本に書き込む番組まである。まして『サンデーモーニング』は時の政権やその取り巻きから怨嗟の眼を注がれ、迂闊(うかつ)な発言が出れば格好のターゲットとされてしまいかねない。 なのに打ち合わせさえしないのはなぜか。そう問う私に、当然じゃないかといった表情で関口さんがこう言ったのには、私の方がしびれた。「青木くんね、言葉っていうのは、一度発すると死んじゃうんだよ」 今回のインタビューであらためて真意を尋ねると、関口さんはこんなふうに言うのだった。 「あの番組で一番大切なのは、もちろん出演者のコメントです。でもそのコメントは、その瞬間、その空気の中で、その人の口から懸命に発せられる言葉だから生きるのであって、事前に打ち合わせたコメントなんて面白くもなんともない」 だが、現実に多くのテレビ番組は違う。 「たしかに事前にリハーサルする番組もありますが、打ち合わせやリハーサルで喋(しゃべ)ったことを本番で喋っても、そんな言葉はもう死んでいると私は思う。ぶっつけ本番の中で発した言葉だから生きるんです」