帰化した日本の食材に故郷・バングラデシュの味重ねて
周囲のサポートに支えられて
こうした経験から、来日したホーセンさんは葛飾区立石の染色工場に就職。やがて同じバングラデシュ出身のピンキーさんと見合い結婚し、娘のイシラトちゃんが生まれた。そのイシラトちゃんが日本で成長するにつれ、一つの問題が生じてくる。 「やっぱり日本語の問題ですね。私たちも日常会話には困りませんが、子どもの学校とか病院の書類関係がどうにもならなくて」 それをサポートしたのが、当時の会社の同僚だった日本人女性Aさんだった。相談を持ち掛けられたAさんは、しばしばホーセンさん宅を訪ねるようになる。するとお礼も兼ねて夕飯をごちそうになる機会が増えた。 「夕方になると香辛料のいい香りがしてくるんです。それがとてもたまらなくて(笑)今まであまり食べたことのない魚介のスパイス料理ですが、食べてみるとご飯にもよくあう味でした」 もともと専門店巡りをするほどインド料理好きだったAさんだったが、ピンキーさんの作るバングラデシュの家庭料理はそれまで食べたどの店でも味わったことのないものだった。すっかり魅了されたAさんは、その後もイシラトちゃんのサポートを口実に足しげくホーセンさん宅に通い、その都度夕食のご相伴にあずかった。 食べるだけであきたらず、料理まで教わるようにもなる。そうしてピンキーさんから教わったレシピはかなりの量になり、今ではその蓄積されたレシピをミニコミ誌にして販売したり、ピンキーさんと共に料理教室を開催したりするまでに至っている。
ライスが進む、心づくしの家庭料理
そうこうしているうちに、本日の料理が完成。 テーブルに並んだのはラルシャクのバジ、鯛を使ったフルコピル・マチェル・ジョルのほか、暑い時期によく食べるという青マンゴーの入った少し酸味のあるダル(豆のスープ)、骨つきのゴルル・マンショ(牛肉)がゴロゴロ入ったこってりとしたブナ(炒め煮)など。 バングラデシュは日本と同様に米食文化圏で、おかずの全てがライスに実によく合う。またバングラデシュではおかず類はそれぞれ皿に盛り、個別にライスと共に食べる。ほかのおかずと混ぜることはしない。 よく一つのお皿の上に複数のカレー系のおかずをのせ、互いによく混ぜて食べるのが本式だなどといわれるが、少なくともバングラデシュ(ベンガル)の食べ方にそれはない。ライスの上にのせた一つのおかずを食べきってから、次のおかずをのせていく。 ピンキーさんの心づくしの料理はどれもおいしくライスが進み、気がつくとつい3回もおかわりをしてしまっていた。膨張した腹をさすりながら、しばし余韻にふけっていると、食後のミシュティ(甘い菓子)が出てきた。バングラデシュの食を特徴づけるのはまず魚、そして米、それからこの甘い菓子といわれる。 この日出してくれたのはチョムチョムとションデシュ。共に乳脂肪から作る代表的なベンガル菓子で、バングラデシュの人たちの大好物だ。 「誰かお客さんが来た時だったり、お祝い事だったり。まあ、何もなくても私たちはよくお菓子を食べるんですけど(笑)こういうミルク菓子はお気に入りのお菓子屋から買うことが多いのですが、ピターなんかは自宅で作りますよ」 そういうとピンキーさんは、ピター作りにも使うという、地元から持参したコライと呼ばれる鍋を見せてくれた。 ピターとは主に米などの穀物を発酵させ、蒸したり焼いたりした軽食の総称だ。菓子のように甘く味付けするピターもあれば、軽く塩味をつけおかずと共に食べるピターもある。屋台の人気料理だが、朝食として家庭で作ることも多い。 「昔は家でよくピターを作ってましたけど、今では屋台で買う人が増えました。昔と違って外食する人が増え、自宅での料理時間が短くなったからでしょうね」 それが果たして良いのかどうか……という含みを持たせながら、ピンキーさんはよく手入れされたコライを大切そうに棚にしまった。 Aさんと共催する料理教室は回を重ねるごとに、参加する日本人が増えている。料理を通じてバングラデシュ文化に関心を持つ人が一人でも多く増えれば、というのが二人の共通の願いだ。そしてこれほどうまいバングラデシュ家庭料理ならば、確かにもっと広く知られるべきだと私も強く思った。 ■著者プロフィール 小林真樹 インド食器輸入業 インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡航を開始し、その後も毎年長期滞在。現在は商売を通じて国内のインド料理店と深く関わっている。最大の関心事はインド亜大陸の食文化。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』(阿佐ヶ谷書院)『食べ歩くインド』(旅行人)。最新刊は『インドの台所』(作品社)。
朝日新聞社