「津波が来る」あの日、記者のおとそ気分は吹き飛んだ 60年ぶり警報から1年 兵庫北部の備えは今
但馬地域に約60年ぶりの津波警報が発表された2024年1月1日の能登半島地震から、まもなく1年となる。発生時刻の午後4時10分、神戸新聞但馬総局(兵庫県豊岡市)では、記者の丸山桃奈(25)が初詣の取材を終えて一息ついていた。 【地図】和倉温泉の場所 「今晩、何を食べようかな」。考えを巡らせていた時、建物全体が大きく横揺れした。豊岡は震度4を観測し、津波注意報が発表された。「何も元日に…」と思うが早いか、注意報は警報に切り替わった。おとそ気分は吹き飛んだ。 東日本大震災の映像が頭をよぎった。「但馬にも津波が来る」。日本海に面した豊岡市の竹野、港地区、宿泊客でにぎわう城崎温泉街の安否に心が騒いだ。取材でお世話になった人の顔が次々と浮かぶ。だが、正月の出勤者は自分しかいない。一刻を争う状況に「今まで感じたことがない緊張感の中、必死に何ができるかを考えた」。 ◆ 能登半島中部にある和倉温泉(石川県七尾市)ではあの日、震度6強が観測された。豊岡市の警報発表と同じ時刻、能登には大津波警報が発表されていた。現地では何が起こっていたのだろうか。 開湯1200年とされる同温泉は、七尾湾沿いに旅館21軒が並ぶ。同温泉観光協会事務局課長の平野正樹(48)によると、当日は温泉全体で約2千人の予約があり、うち約1200人がすでにチェックインを済ませていたという。 全68室の老舗「ゆけむりの宿 美湾荘」も、たくさんの宿泊客を迎えた。社長の多田直未(42)は「尋常じゃない揺れだった」と振り返る。建物の内外が地盤沈下し、床や据え付けの机まで外れ、館内はめちゃくちゃになった。「宿泊客の命を守らなければ。逃げてもらわなければ」。直後から従業員らが全速力で8階建ての旅館を駆け上がり、避難を呼びかけて回った。多田は館内放送で避難を呼びかけつつ、「もう旅館はだめだな」と感じていた。 平野は同協会事務所で地震に遭った。同温泉の海抜は3~5メートル。石川県の津波浸水想定区域からほとんど外れていたが、まちはあちこちで液状化し、道路は陥没と隆起で本来の機能を失っていた。「大津波が来たら、まちが沈んでしまう」。同温泉街では事前に津波の訓練をしたことがなく、取り決めもなかった。ただ、地域では昔から「何かあったら高台の小学校へ」と伝えられてきた。避難を先導し始めたのは、各旅館の従業員たちだった。 夕暮れ時、高台に続く約1キロの道の角かどに従業員が立ち、足元をライトで照らし、避難を誘導した。高台の小学校と公民館の収容可能人数は計500人だったが、住民と帰省者、宿泊客ら計2千人が避難。警報の解除後は他の一時避難所からも避難者が身を寄せ、階段からトイレ前まで人でぎっしりと詰まっていた。 能登半島地震の元日、但馬地域の沿岸1市2町では少なくとも5千人以上が避難行動を起こしたが、現場ではさまざまな問題が起こっていた。約60年ぶりの津波警報があぶり出した課題は、まだ解決していない。もし能登のような状況が但馬で起こったら、住民の命は守れるのだろうか。(敬称略) ◇ あの日、但馬総局で地震に遭った記者が12月上旬、能登半島の被災地を取材した。被災者の記憶や但馬で警防を担った人たちの経験を手がかりに、改めて備えを見直したい。(丸山桃奈、阿部江利)