青木真也、ONEと再契約「ここで最後」 4か月に渡る交渉の中身「雑に扱われたくない」
「青木はRIZINに…」耳を疑ったチャトリCEOの言葉
契約期間も青木側が主導して決めた。もしONEと契約できなければ「長期休業もしくは廃業」と考えていた。これは決して投げやりな感情ではなく「もうやめられるんだ」が大きかった。続けていくという選択はそれほどきついことだった。 「向こうが誠意、気持ちというか『欲しい』って言ってくれたらやらなきゃいけないですよね。約束をしたので、この期間は頑張ろうと」 そんなチャトリCEOは青木が「情熱を持った人」と認めている人間の1人だ。 DREAMを離れた当時、日本格闘界を事実上“追放”された形になった青木。DEEPの解説から外され、一時は生命線とも言える練習場所も失ってしまった。そんな状況下で声をかけてくれたのがチャトリCEOだった。 「『シンガポール来ていいからね』って。DREAMがなくなって、UFCに行くにしてもONEに行くにしても『うちが全部面倒を見る』って言ってくれたんですよ。そのときはコーチでもなかった。だから僕は恩があるんですよね。そのあとONEに迎え入れてくれて、自分の力でもあるけど何年か生かしてくれて本当に感謝しています」 もちろん契約の条件が良かったのも事実だ。それ以上にチャトリCEOをなによりも信頼できた。「信じていいなと思いました。悪いことされねぇだろうなと思いましたね。社長というよりもコーチだったし」と振り返る。 30歳目前、キャリアの分岐点でUFC行きを選ばなかった理由を改めて明かした。 「若いころはあったのよ。あそこ(UFC)で1番になりたいって。でもその気持ちは20代で清算されてる。それ以外にもそもそも行ったところで日本人がスターになれないでしょって。だってアメリカのものじゃん。北米挑戦は俺のなかでStrikeforceとBelltorで終わってた」 今回の契約が「最後」になる。これまでも契約更改はしてきたが圧倒的な違いがある。 「ONEで現役を終えるんだろうなって思った。ハイパフォーマンスを見せるのはここで最後になるなと。ONEに預けること、現状後悔はないですね。粛々とやりたいかやりたくないかも分からないようなことを一生懸命にやって自分自身を受け入れていきます」 本当は1月で終わりにしようとしていた。プロレスで例えるならば相手の技を耐え、相手をフィニッシュするためさまざまな布石を打った。あとはとどめを刺すだけ。ここで返されてしまった。 「直前まで行ったのにエルボーなのか頭突きなのか分からないけど、返されちゃったんだよ。もう1回、俺はフィニッシュまで向かう道筋を作り直さないといけない。難しいことなんだけど、いまはそれをうまく描けている気がしますね」 「本当に完璧な形で仕舞いたい」と切に願う。何で終わらせるかは決めた。唯一自分の意思でコントロールできないのは体の衰えだが、その変化が訪れるのも「面白い」。41歳で決めた再契約。そこには自由を手放す苦しみと納得した最後を迎えられることへの安堵が入り混じっていた。
島田将斗