社会のためになるゴルフの生かし方を日々追求!? 尾崎直道の元キャディ・足立美都樹さんが取り組む「ゴルフォロジー」とは?
マネジャー兼キャディ
そして、マネジャー業も行うようになる。その才能を見抜いた桑原と05年から契約。しかし年明けすぐ、実家の家業が倒産する。 「明日住む場所をどうするという感じで、30歳でどん底でしたけど、なかなか周りに言えなかった。スポーツしか知らないお嬢さんとして生きてきたので……」 そんなとき、尾崎から「春の中日クラウンズの試合だけは担いでほしい」と連絡が入る。尾崎には、絶対に欲しいタイトル。桑原に断り、バッグを担いだ。そして尾崎は48歳11 カ月で優勝。思い出のキャディとなったのだ。 人脈も経験も、つなげられるのは縁だけではない。自分の選択であり、実力だ。そこからプロ2人に実家倒産の話をし、尾崎の会社でマネジメント業務を本格的に行うことになる。この年の秋、尾崎は米シニアのQTを通過。06年からは東京でマネジャーとして支える予定だった。しかし、尾崎の一言でキャディ業務も兼任するため渡米。 「4人でキャディは回して日米を行き来していたんですけど、大変でした。運転もしましたよ」 マネジャーにはキャディとはまた違うコミュ力が必要だという。 「調整力です。つなぎ役。直道さん、家族、ファン、メディア、事務所……皆が上手く笑顔になるためにはどうするかと。本人を説得するのも私の手腕だと思っていました。そしてミスをしたらすぐに謝り、思っていることや感謝はなるべく口に出す。何よりティーイングエリアに直道さんを何の心配もなく立たせるのが大事ですから」 日米を行き来していた10年に結婚、37 歳のときに息子が誕生した。そこで一旦仕事はやめた。 「でも息子が年中になり働きたいなと思って。マーケティング会社の女性起業セミナーに参加し、そこの男性社長に感銘して、そのままバイトをさせてもらいました」 自分に何ができるかと振り返ったとき、培ってきたコミュ力と調整力を使おうと考えた。 「いい言葉やキャディの経験などをノートに記録していました。まず、ママ友たちに、直道さんや桑原さんに使った手法で言葉を伝えてみると、すごく上手くいったんです。すると知人から、企業向けの講演を頼まれました」 こうして方向性を模索していたところ、進行性の胃がんが発覚する。16年のことだ。 「最初は全摘だと言われて。また人生のどん底です。子育てもあるし、好きな飲食もできないし。ステージ2ですぐに手術しました。おかげさまで、転移もなくて抗がん剤治療もやらなくてよかった。でも同時期に、大親友ががんで亡くなったんです。これはもう本当に自分のやりたいことをやらないといけないと……」 17年に名古屋に帰った。病気と同時に離婚話にもなり、調停を経て離婚。 「両親、姉、兄が助けてくれたり、ミズノの新規直営インドアでバイトをしたり。昨年5年経ち、寛解の状態になったので公表しました。皆さんにも健診に行ってほしいし、未来のことは心配せず、今を、自分の人生を生きることが大事だと伝えたいんです」 そんなとき、プロゴルファーの西脇まあくのマネジメント業務を行う話が出てくる。