101歳で逝去の百合子さま「多くの方々が私を支えてくださいました」戦争・困窮・早すぎる3人の息子の死…三笠宮様と歩んだ75年
夫・三笠宮様と共に
ご自身も公務をこなす一方で、百合子さまは三笠宮さまの傍らに常に寄り添われていました。 これまでも三笠宮さまが研究を進めるトルコを訪問すれば同行し、ダンス大会に出席すれば一緒に踊り、そのご活動を支え続けてこられたのです。 2011年、三笠宮ご夫妻は、結婚70年を迎えられます。そこで公表された三笠宮さまのご感想には、百合子さまへの感謝の言葉であふれていました。 「顧みれば、70年間、陰になり日なたになり私を助けてくれたのは、何といっても妻百合子であった。結婚のとき、私は陸軍大学校の学生だったので、宿題のためにしばしば徹夜したし,間もなく戦争となり、厳しい生活が始まった」 「妻は華族の出身であるが、皇族の生活は一段と厳しく、忙しいから、留守を守っていた妻の労苦は並々ならぬものであったに違いない」「三笠宮家は新しく創設されたために経済的な基盤がなかったばかりでなく、空襲で邸(やしき)が全焼したため、経済的な労苦はほかの宮家と比べてはるかに大きかった。それを支えてくれたのも妻であった。やがて私は東大文学部で勉強することになったが、いろいろな公務もあり、授業に出られないときには友人のノートを借りてきて、夜のうちに妻に写してもらった。それは教室で筆記するより大変だったろう。その後、半世紀、私は諸大学の講師を務めながらほかの公務にも出席していたので、妻は親王妃としての公務を果たしながら、5人の子供の世話や教育を一手に引き受けてくれ、しかもそれを見事に果たしてくれたのである。今静かに過去の70年を振り返ってみるとき、百合子に対して感謝の言葉も見付からないほどである」 2012年6月、三笠宮さまの健康に重大な問題が見つかります。体調を崩し入院し検査したところ、心臓の僧帽弁がきっちりと閉まらず血が逆流するうっ血性の心不全と診断されたのです。治療のため、心臓の弁を交換する手術の必要が出てきました。96歳の三笠宮さまにはとっては体に大きな負担がかかる心臓手術です。このため、医師団が手術をすすかどうかを含めご家族に相談します。 すると百合子さまは、手術を強く希望されたということです。三笠宮さまが健康になり、一日でも長く一緒の生活を望まれたのでした。こうして7月、手術が行われることになり、百合子さまも病院に付き添われました。手術は無事に成功。 百合子さまの願いも叶い、三笠宮さまは元気な姿を見せられるようになりました。百合子さま89歳の時のことでした。