101歳で逝去の百合子さま「多くの方々が私を支えてくださいました」戦争・困窮・早すぎる3人の息子の死…三笠宮様と歩んだ75年
3人の息子が次々に
桂宮さまの容体も安定し、少しずつ公務に復帰するようになった2002年、さらに不幸が襲います。三男、高円宮さまが心房細動のため47歳で急逝されたのです。百合子さま79歳の時でした。 高円宮妃久子さまや成人前の3人のお子さまはもちろん、三笠宮ご一家の方々は、あまりにも急な不幸に悲しみにくれました。 それから10年、2012年。今度は、長男、寛仁さまが66歳で亡くなられます。寛仁さまは、1991年にがんが見つかり、手術を受けましたが、再発と手術を繰り返していました。 さらに、2014年には長く療養生活を送られていた次男の桂宮さまも66歳でご逝去。男性のお子様を次々に失われたのです。
皇族として精力的に公務を
ご結婚後は、ご公務にも精力的に取り組まれた百合子さま。ほかの妃殿下方とご一緒することも多かったようです。1941年の戦時中は、傷痍軍人の病院を、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さまと共に訪れ、患者を見舞われました。 戦後も、1967年にはハンセン病の救済事業を行っていた協会の創立15周年の記念式典に香淳皇后とともに3方の妃殿下で出席されています。 また、氷上・フォークダンス・カーニバル大会では、当時浩宮さまだった天皇陛下と共に、サウンド・オブ・ミュージックのトラップ大佐を演じる三笠宮さまの華麗な滑りをご覧になるなど、三笠宮さまのご活動を支えられていました。 母子愛育会には1946年から2010年までの64年もの間、総裁を務められています。 2010年4月20日、86歳の百合子さまは母子愛育会の式典の中でこうお言葉を述べられています。 「愛育班員全国大会に全国から参加されたみなさんにお会いできたことをうれしく思います」 式典でのおことばは、これが最後となりました。
病との戦い
お忙しく過ごされる中、百合子さまも体調を崩されることも。 1992年には、胆石摘出のため13日間ご入院。1999年には、胸の圧迫感やめまいといった症状があったため検査を受けたところ、狭心症と徐脈性不整脈と診断され、心臓ペースメーカーを埋め込む手術と冠動脈を拡張する処置を受けられています。2007年には大腸がんが見つかり手術を受けましたが、転移はなく、同じ年に、公務に復帰されています。