天守閣はあったのか、なかったのか 今年初の発掘調査で決着を 福岡城
この平面の大きさを天守閣の1階部分とし、当時の建築書を元に設計図を考えたといいます。 ■壁の色は「黒っぽい」と推定 さらに天守閣の壁の色はーー。 九州産業大学 佐藤正彦名誉教授「時代は違うけれど松本城は黒ですね。軒下のところだけが白漆喰であとは腰のほうは下見板張りなんですね。腰の部分のほうが軒下より多い、高いですからぱっとみたときは黒く見えるんですよね」 福岡城の色は「黒っぽい」と推定します。 根拠となるのは、福岡城に江戸時代から唯一残る国の重要文化財「多聞櫓(たもんやぐら)」。 天守閣も「多聞櫓」と似たつくりで、黒い部分の面積が広いと佐藤教授は推測しています。 一方で、福岡城の姿を記した史料は見つかっておらず、本当の姿は謎に包まれたままです。 ■「天守をお建てになった」家臣の手紙 史料の収集を行う福岡市博物館。 過去に調査した史料を再度掘り起こしたところ、去年9月、新たに「天守閣があった」ことをうかがわせる史料を発見しました。 黒田家の家臣同士がやりとりした手紙で、「天守をお建てになった」と書かれています。 福岡市博物館・学芸課 高山英朗さん「天守が建てられたと明確に記されていますので天守が存在したという学説をさらに補強するような史料だと考えています」 ■経済界は「復元」に意欲 こうした研究や史料を強みに福岡城の天守閣を「復元」しようと意気込んでいるのが経済界です。 文化庁はこれまで、天守閣を復元するには絵図や写真など精度の高い史料がなければ認めていませんでした。 しかし2020年に基準を緩和し、外観や構造の一部が分からなかった場合でもそれを明示すれば「復元的整備」として再現することを可能にしたのです。 これを受け福岡商工会議所などで作る懇談会は、専門家らの意見から「福岡城の天守閣はあった」「江戸時代に建てられその後破却された」とした上で、「復元的整備を迅速に進めることが適切である」と結論付け、1月にも高島市長に提言することにしています。