ブリットポップに乗ってイメージアップ、選手はセレブ化。転換点は1990年ワールドカップ 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生③】
プレミアリーグが誕生する数年前まで深刻なフーリガン問題で威信が失墜していたイングランドのサッカーは、ピッチ内のプレースタイルも一面的な「キックアンドラッシュ(蹴って、走る)」というレッテルが貼られていた。荒れて泥だらけのピッチが当たり前で、技術よりパワーとスピードを前面に出す戦術が全盛だった。入場者数も減少の一途を辿るなど閉塞感に包まれた時代から、1990年代に入ると希望の光が差し込んできた。(共同通信=田丸英生) 【写真】スタジアムは「巨大パブ」サッカーとビールを愛するイギリス人サポーターはとにかく熱い! 世界最高峰のプレミアリーグ、楽しみ方
▽専用練習場がなかった1980年代のチェルシー サッカー界が暗いイメージに覆われていた時代に、プロとしての第一歩を踏み出した元イングランド代表のグレアム・ルソー氏(55)は「サッカーは世の中を映す鏡であると昔から思っていた。サッチャー政権で労働者のストライキも多く、社会全体にとっても難しい時期だったことがスタジアムにも反映されていた」と当時の記憶を辿る。 1987年にチェルシーとプロ契約を結んだ当時はクラブの専用練習場がなく、大学の施設を使っていた。食事など栄養面を含めた体のケアへの意識は決して高いとは言えず、旧態依然の戦術は選手から創造性を奪った。 「想像していたプロの世界とは違ったので、少しがっかりしたのを覚えている。ピッチの状態は常に悪かったため、GKやDFが自陣でパスをつなぐようなプレーは考えられず、そういうリスクの高いプレーをしたら無責任とさえ捉えられていた。試合前後にストレッチをするのも珍しがられたほどで今とは隔世の感があるが、そういう時代だったので仕方なかった」
▽劇的なW杯ベスト4に国民歓喜 球際の激しい攻防、互いにミスを突いて攻守がスピーディーに入れ替わる試合展開は昔ながらのファンを魅了した。その反面、リバプールのファンが試合前に相手ファンに襲いかかったことをきっかけに39人が亡くなった「ヘイゼルの悲劇」を受け、1980年代後半はイングランド勢が欧州連盟(UEFA)のクラブ大会から閉め出されていたこともあり、進化するサッカースタイルや戦術のトレンドで他国に後れを取っていった。 一つの転換点となったのが1990年のワールドカップ(W杯)イタリア大会。前評判の高くなかった代表チームが劇的にベスト4まで勝ち上がり、ポール・ガスコインやデービッド・プラットといった新星の活躍に国民が久々に沸いた。西ドイツとの準決勝は延長でも決着せず、PK戦の末に惜しくも敗退。 それでもロンドン郊外のルートン空港に帰国したチームを出迎えたファンは30万人に上り、選手を2階建てバスに乗せたパレードも行われるフィーバーとなった。準決勝はイギリスで3千万人がテレビで視聴したとされ、当時のイングランドサッカー協会(FA)公式年鑑にグレアム・ケリー最高経営責任者は「その3千万人が国内リーグの1試合でも観戦してくれたら、シーズンの総観客数が5割増しになる!」と興奮気味につづった。