神戸で生まれた歌「満月の夕」、震災知らない若者に響く…ガガガSP、あいみょんら歌い継ぐ
阪神大震災の被災地で生まれた歌「満月の 夕ゆうべ 」が、世代を超えて歌い継がれている。ロックバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」の中川敬さん(58)らが手がけた。避難所でたき火を囲む被災者の姿を思い起こさせる歌詞と、心温まるメロディーは、震災を知らない若者に当時の記憶を伝えている。(上万俊弥) 【写真】阪神大震災で自宅を失った人たちが、公園にテントを張って暮らした。奥の敷地に積まれているのは震災廃棄物(1995年2月6日、神戸市長田区南駒栄町で)
ボーカルの中川さんは当時28歳。1995年1月17日、大阪の自宅にいた。被災地の惨状を知り、眠れない日々が続いていたが、メンバーのひとりが「避難所にいる人のために歌わへんか」と言い出した。 被災地に行けば電子機器が使えないため、エレキギターを 三線さんしん に、キーボードをアコーディオンに持ち替えて練習した。初めてのライブは2月10日、神戸市灘区の学校だった。約200人を前に、阪神タイガースのメガホンをマイク代わりに民謡や昔のはやり歌を歌った。 演奏後、一人の女性が近づいてきた。「家も子どもも旦那も失った。今日ようやく泣けた」。そう言うと、「兄ちゃん、がんばりや」と中川さんの背中をバシーンとたたいた。
当初、本当に被災地のためになっているのか、偽善じゃないのかと考えていたが、そうした疑問は、どこかへ飛んでいった。
2日に1度、避難所を回った。2月14日は神戸市長田区の南駒栄公園。ライブを終え、被災者とドラム缶のたき火を囲んでいると、口々に「満月が怖い」と言い出した。1月17日は満月だった。それ以来の満月が近づき、再び揺れるとの根拠のないうわさが広まっていた。 「自分は忘れてはならないものを見聞きしている」。翌日、一気に書き上げたのが「満月の夕」だった。 ♪ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る 解き放て いのちで笑え 満月の夕 避難所や仮設住宅での演奏は5年間で200回を超えた。「満月の夕」を演奏すると、涙を拭ういくつものハンカチが見えた。中川さんも上を向いて涙をこらえた。「忘れたいけど忘れたくない。そんな複雑な感情を解き放ってくれる曲やね」