小泉郵政解散を意識? 平成以降の主な解散 坂東太郎のよくわかる時事用語
(1)体制選択選挙または消費税選挙(1990年)
女性スキャンダルに翻弄された宇野宗佑首相のもとで行われた1989年の参議院議員選挙で自民党が大敗。55年の結党以来初めての過半数割れに陥りました。その年から導入された消費税3%も野党の格好の攻撃材料となりました。 当時政権を事実上コントロールしていた竹下登元首相率いる竹下派は清新なイメージのある三木派の海部俊樹氏を首相に押し上げ(在任1989年8月10日~1991年11月5日)何とか退勢を挽回しようとはかります。 そして90年2月、海部首相による解散・総選挙で野党はまたも消費税反対を大声で叫び「消費税選挙」にしようともくろみます。 対する自民党ですが、前年に冷戦(アメリカ陣営の「西」とソ連陣営の「東」によるにらみ合い)構造の象徴であったベルリン(当時はソ連陣営の東ドイツ内にあった)を東西に分離していた「壁」が崩壊し、東から西へと人が流出、次第に東西ドイツ国境全土にまで拡大していきました。東側の欧州のシンボル的存在だった東独の崩壊は他の東欧諸国にまたたく間に伝わり、東側の主義主張であった社会主義の敗北が明らかになってきました。この国際的大変動に自民党も反応し「西側の自民党か社会主義を掲げる野党第一党の日本社会党か」といった「体制選択」で対抗します。 結果は自民快勝。体制選択論にどれほど効果があったか疑問はあるも、消費税反対で野党が押し切れなかったのは事実。この頃、日本はバブル景気に踊っていて好景気の時の増税が慣れてくると痛税感が和らいでいったと思われます。 ところで海部首相といえばこの選挙よりもむしろ最後に「解散できなかった首相」として有名です。消費税の次に大きなテーマとなっていた政治改革がうまくいかず「重大な決意」と口走ったとされます。首相が「重大な決意」といえば解散総選挙に他ならず反対論が噴出。ここで小泉氏ならば断固解散しようところ、小所帯の派閥出身で最後には後ろ盾の竹下派にまで見放され、総辞職しました。