「当事者にとっては救いの学校なんです」--日本語も人生も支える、ある夜間中学教師の36年
八王子五中で人生が変わったネパール人
ネパール人のシュレスタ・ラジーヴさん(27)は、実際に夜間中学で学んだ経験を持つ。 「日本の常識やライフスタイル、人生そのものを教えてくれたんです」
流暢な日本語で言う。いまでこそ八王子市内でインド・ネパール料理店「うまんぱさる」を経営し、地域の人気店になっているが、16歳で来日したときはどこか投げやりだったのだという。 「日本でカレー屋を開いた父に呼ばれたんです。でも日本語が全然わからず、学校にも行かずに、知り合いに紹介されたそば屋でアルバイトするだけの毎日でした」 思春期にいきなり環境が激変すれば無理もないのだが、漫然とアルバイトをしながら2年が過ぎたころ、ショックを受ける出来事があった。 「電車の中で50歳くらいの女性に席を譲ったら、すごく怒られたんです」 日本人ならなんとなくその理由も察しはつくが、ラジーヴさんは驚き、悩み、何日も考え込んだ。 「自分は日本語だけでなく、日本の社会も文化も、日本人の考え方も何も知らない。このままだとこの国で生きていけない。そう感じたんです」 年齢的にもう昼の中学には入れない。もちろん高校に入れる学力も日本語力もない。そんなときに知り合いのネパール人から教えてもらったのが、八王子市立第五中学校の夜間学級だった。すぐに入学すると、昼間はアルバイトをして、夕方5時に学校へと向かう生活が始まった。給食が夕飯だ。夜9時まで学び、それから家に帰って、また朝から仕事に出かける。 「同級生は日本人のほかに、ロシア人、フィリピン人、韓国人、中国人……いろんな人がいた。3年生まで全部合わせて50人くらい。日本人のおじいちゃんもいましたね。みんな家族のようだった」
先生は厳しいけれど、礼儀正しさや、時間を守ることなど、日本のマナーやルールをたたきこんでくれた。日本語もめきめき上達し、漢字の読み書きにも慣れていく。世代も国籍も違う級友たちと、浴衣やお茶といった日本文化の授業や、体育祭の思い出もつくった。 やがて夜間中学を卒業したラジーヴさんは高校に進学。そこで出会った日本人の女性と結婚し、いまは生まれたばかりの娘を守り、家族でインド・ネパール料理店を切り盛りする。 「夜間中学に通わなかったら、もっと適当な、いいかげんな人生だったと思う」 実際、日本社会になじめず、すさんでいく「移民の子」は多い。親の仕事のために日本に来ただけであって、自分から進んで選んだ場所ではないのだ。国の友達と別れたさみしさもある。日本語の壁にぶつかり、あるいは差別に悩み、ドロップアウトしていく子どもたちもいる。そこを埋めるもののひとつが夜間中学なのだ。 「僕は五中に人生の選択肢を与えてもらった」とラジーヴさんは語るが、そんな八王子五中の夜間学級がいま、存続の危機にある。 東京の西郊、広大な多摩地区にただひとつ設置されている八王子五中夜間。そこに通う生徒は3学年合わせて、外国人ばかりわずか14人だ。このままだと廃止になるのでは、と危ぶまれている。関本さんがいま最も気がかりなことでもある。 「需要が少ないから生徒が減っているわけではないんです」 むしろいま日本は外国人が急増する時代を迎えている。八王子をはじめ多摩地区にもおよそ9万人の外国人が暮らす。その中には日本語がおぼつかない人も多い。それに日本では近年、いじめや家庭の問題から不登校になってしまった人が学び直す場として夜間中学が見直されてきている。 現在の夜間中学は、15歳以上で、中学校を卒業していない人なら誰でも入学できる。国籍は問わない。 「時代の趨勢は、まず夜間に表れてくるんです。本当に教育が必要な人たちがまずやってくるのが夜間なんです」 しかし八王子に夜間中学があることや、不登校だった人や外国人も受け入れていることはあまり知られていない。 そこで関本さんたち有志は、広報を買って出ている。八王子の駅前でチラシを配り、オンラインで夜間中学についてのイベントを開催し、八王子五中夜間存続のための署名活動にも奔走する。