「お別れの会」で女優篠ひろ子さんが語った夫・伊集院静の思い出
「お別れの会をやるのは勝手だが、家族に迷惑はかけるな」
篠「あの人の、メモの話はしてなかったかしら。メモが見つかったんです。編集者の方が、『奥様は(お別れの会に)いらっしゃらなくてもどちらでもけっこうです』と言うんです。『え、なんで』と聞いたらメモがあったと。そのなかに、『お別れの会をやるのは勝手だが、家族に迷惑はかけるな』というメモがあったそうです。だから、私はここにいなくてもよかったんじゃないかしら。そんなことがありました」 「(主人は)メモを書いてなんでも(書斎の壁に)張る癖がありまして。そのメモは、東京に最後に行ったのが8月の末。それから1カ月後、東京にいる間に、何か自分では感じるところがあったんじゃないかしら。私たち年ですから、終活だとか言っていて、いろいろ片づけが始まっていたんですが、当時、終活じゃなくなっちゃって、主人は(仙台の家にある)自分の周りのものを全部、片づけたんですよ。大事なものが何もなくなってしまって。それで『もしかしたら』ということで書いていたのかな。今思うとね」 「だけど病院嫌いだったんですよ。検査は全然してなかった。(クモ膜下で倒れるまで)大腸と胃の検査は毎年していたんですが、あの病気をしてからずっと何もしてなかった。(クモ膜下で)血管の方が心配で。そんなことで病院に行く人ではなかった。私が『病院行ったら』と言うと『お前が行け』って言うんです。『私はどこも悪くないけど』って。もうそんなことがしょっちゅうでした。だから言えないんですよ」
「どこのひろ子だ」「仙台のひろ子です!」
阿川「そういえば、クモ膜下から回復なさって、執筆活動も再開なさって、元気にやってらしたにもかかわらず、去年の夏ごろから『もう東京に戻らない』とおっしゃっていたのに仙台から東京に戻ってらして。山の上ホテルにずっと入り込まれて、それで奥様が心配してらしたんで、ホテルのスタッフの人にちょくちょくどうなってるか報告してくださいと伝えたら、声は聞こえているので大丈夫です、生きてると分かったと。それから4日(部屋から)出てこないと報告を受けて、あまりに心配なので、ひろ子さんが東京に出て来て、お部屋をコンコンとやったら」 篠「『ひろ子です』と言ったら、『どこのひろ子だ』と言われちゃった。『仙台のひろ子です!』と。それから出てきてくれたんだけど、すごい時間がかかって。それで『さあ病院行きましょう』って言ったら『絶対、行かない』『あっそう、じゃ、今から先生に電話するから』と。(クモ膜下の時に執刀してくれた)その先生のところしか行かないんです。それで『先生に電話しますよ』と言って先生に電話すると、先生には『はい、今すぐ行きます』。それで『じゃあ行きましょうね』『絶対に行かない』。もうこのやり取りが何回もありました」