夏を祖父母の話を聞く季節に。戦争体験証言集『孫たちへの証言』が今年も刊行/大阪
戦争の記憶を記録として残すことで、戦争体験を若手世代へ受け渡す証言集が、今年も刊行された。戦時下の子どもたちに苦難を与えた学童疎開から、今年で70年。担当編集者は里帰りなどで家族が交流しやすい夏を、「孫たちが祖父母の話に耳を傾けるために活用してほしい」と呼びかけている。 [動画]東住吉で「模擬原爆追悼式」。当時を知る人「この事実を語り継いで」
市民が体験した戦争の証言集
この証言集は『孫たちへの証言』第27集。大阪市天王寺区の出版社「新風書房」が1988年以来、毎年夏に刊行してきた。著者の多くは戦争を体験した無名の市民たちだ。毎年テーマを決め、1600字以内の分量で原稿を公募。今年は597編の応募があり、入選作76編が掲載された。応募者の平均年齢は81・4歳だった。 第1集から編集に携わっているのは同社代表の福山琢磨さん。自分史作成セミナーの講師を務めるベテラン編集者で、証言集の原稿にも高い水準を要求する。公募締め切りの3月末から刊行までの4カ月間で原稿を精読し、応募者に不明点の確認修正を求める作業に打ち込む。 文章を書き慣れていない場合、「兄が南方で戦死した」などのあいまいな記述に陥りやすい。福山さんは「記憶だけに頼ると、正確で深みのある原稿は書けない。軍歴証明書で照合すると部隊名が確認でき、部隊名が分かれば、いつごろどこで戦ったかを調べることもできる。一冊の証言集に、どれだけ固有名詞を盛り込めるかが、編集者の私の務め」と話す。
戦友を特攻に追いやった悲しみ
東京都在住の小俣嘉男さん(93)は、特攻兵器人間魚雷回天に乗り込んで戦死した戦友塚本太郎さんとの交流を記した。塚本さんが血書をしたためて特攻を志願。その直後、小俣さんはひそかに教官に呼ばれ、「塚本が志願したが、長男なので外した。小俣はどう思うか」と問われた。小俣さんは「本人が熱望するのなら、希望を叶えさせるのが本当ではありませんか」と答える。翌日、塚本さんは特攻要員に加えられ、まもなく出撃して戦死する。 終戦後、小俣さんは教官の問いに「本人の希望通りに」と答えたことを悔やみ、塚本さんの両親への申し訳なさを抱えながら生きていた。やがて塚本さんの母親と面会する機会を得る。当時の経緯を報告すると、母親は「太郎はそういう子でした」としっかり受け止め、小俣さんは頭を上げることができなかったと述懐する。 95歳と最高齢の著者山本貢さんは投稿後の4月に死去。敵駆逐艦との交戦沈没など、波乱の海軍生活を書きつづった手記が遺稿となった。今年は学童疎開から70年。子どもたちが巻き込まれた過酷な体験が多数寄せられた。