四世市川左團次追善『毛抜』ほか上演「團菊祭五月大歌舞伎」開幕レポート
2024年5月2日(木)、「團菊祭五月大歌舞伎」が東京・歌舞伎座で開幕。初日公演のオフィシャルレポートが到着した。 【全ての画像】「團菊祭五月大歌舞伎」の模様(全14枚) 昼の部は尾上松也、中村萬太郎、尾上右近の花形三人による『鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのひめごと)おしどり』で華々しく幕開き。鴛鴦の精が本性を顕すぶっかえりなどの華やかな演出も盛り込まれた、幻想的で古風な趣溢れる舞踊だ。 遊女の喜瀬川(尾上右近)をめぐって源氏方の河津三郎(松也)と平家方の股野五郎(萬太郎)が喜瀬川を行司役にして相撲を取る。わざと河津へ勝負を譲り、酒に酔わせた上で討ち取ろうと考えた股野は、池で泳ぐ鴛鴦の雄を殺し、生き血を河津の酒に混ぜる……。やがて泉水に雌鴛鴦の精(尾上右近)が姿を現し、股野に子らそれた雄鳥の死を嘆く。そこへ雄鴛鴦の精(松也)が河津の姿を借りて現れ……。鴛鴦の精の艶やかさ、華やかな所作ダテが繰り広げられると、客席は拍手に包まれた。 続いては、歌舞伎十八番の内『毛抜(けぬき)』。元禄歌舞伎の大らかな雰囲気に溢れる本作は、七世市川團十郎が「歌舞伎十八番」に選定し、その後長らく上演が途絶えていたが、1909(明治42)年に二世市川左團次が復活上演。以降、左團次家に大切に受け継がれ、四世左團次は左團次襲名の際にも演じて以来の当り役とした。当月は、昨年逝去した四世市川左團次一年祭追善として上演し、左團次長男の市川男女蔵が父の当り役・粂寺弾正に挑み、左團次孫で男女蔵長男の市川男寅が錦の前を勤める。所縁の出演者で名優を偲ぶ今回の上演で、左團次と数々の名演を魅せた尾上菊五郎は小野春道を初役で勤める。菊五郎は男女蔵の弾正について「お父つぁんに大分似てきましたね」と述べている。また、市川團十郎が後見として出演。 小野小町の子孫、小野春道(菊五郎)の屋敷。錦の前(男寅)の許嫁である文屋豊秀の家臣、粂寺弾正(男女蔵)がやって来る。弾正が花道に登場すると、亡き父左團次を彷彿とさせる大らかな姿と、よく通る声に客席からは大きな拍手が送られた。前半では弾正が腰元の巻絹(中村時蔵)や若衆の秀太郎(中村梅枝)に言い寄って振られてしまう愛嬌を見せ、後半では鋭い知性で小原万兵衛(尾上松緑)の嘘を見破り、錦の前の髪が逆立つ原因を突き止め、派手な見得の数々で何度も観客を沸かせた。弾正は見事小野家の騒動を収め、後見で登場した團十郎に見守られながら、「いずれも様のおかげをもちまして、身に余る大役をどうやらおおせた様にござりまする。どりゃ、お開きと致しましょう」と明瞭なセリフと共に意気揚々と花道を引っ込むと、客席からは割れんばかりの拍手が送られた。 昼の部の幕切れは、『極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)』。日本の俠客の元祖といわれ、江戸時代に実在した幡随院長兵衛を題材にした数多の作品の中でも、名作者・河竹黙阿弥によって書かれ、1881(明治14)年に九世團十郎によって初演された本作が「極付」。 劇中劇として上演される『公平法問諍』が舞台上で繰り広げられる中、客席から幡随院長兵衛(市川團十郎)が登場すると、客席からは大きな拍手が起きる。騒動を収めた長兵衛だが、対立する水野十郎左衛門(尾上菊之助)が呼びかけたことで長兵衛の子分たちがいきり立ち一触即発の事態に。続く長兵衛内の場では、水野邸へ招かれた長兵衛が死を覚悟して女房のお時(中村児太郎)や息子の長松、弟分の唐犬権兵衛(市川右團次)はじめ子分たちに別れを告げ、観客の涙を誘う。水野邸では、長兵衛と水野、近藤登之助(中村錦之助)が過去の遺恨を水に流そうと盃を交わすが……。湯殿で大立廻りの末、潔く散る長兵衛の生き様に胸が打たれる。「長兵衛の孤高の精神は、女房や子分たちには理解されません。しかし、そのもどかしさや心の動きがお客様に伝わるように演じるのが重要です」と事前の取材会で話していた團十郎。父・十二世團十郎から最後に教わった役であるという長兵衛を十三代目襲名後初めて勤め、盛大な拍手が送られた。