“おバカ”キャラから波乱万丈…離婚→起業→再婚→早大大学院生→出産 元日テレ・宮崎宣子アナ「やってみる」精神
ボディケアブランド設立
44歳で出産して話題となった元日本テレビアナウンサーの宮崎宣子さん(44)。出演していた人気番組「ラジかるッ」の終了後、大きな転機が訪れたという。日テレ退社後はフリーアナウンサー、経営者として活躍する一方、大学院にも通いMBAの取得を目指している。宮崎さんの次なるステップとは。(インタビュー第4回・全4回) 【写真】日テレ時代、巻き髪&シースルー姿で「ラジかるッ」ポーズを決める宮崎アナ…ウエディングドレス姿、マタニティフォトも
2009年に「ラジかるッ」終了後、宮崎さんは2度、休養している。1度目は同年に顎関節症の治療のため約8カ月、2度目は2010年に自律神経を壊し約半年間、休職した。 「1度目の休養をしている時に、日テレのアナウンサーとして今後どうすべきかということを考えていました。入社した時の目標みたいなものを決めていましたが、ほぼ全部クリアさせてもらって、これから先が見えない感じになっていました。2度目の休養は、昼夜逆転の仕事で自律神経を壊して しまい、『これはもうここに居るべきではないサインなのかもしれない』そう思えて辞めることを決めました」 2011年、32歳の時に1度目の結婚。翌12年3月で日本テレビを退社した。 「今まで仕事を頑張ってきたから、これからは私生活を充実させていこうと思っていました。いろんな経験をさせてくれた日テレには、本当に感謝しかありません。」 だが、結婚生活は長くは続かず、約3年後に離婚。その後、現在経営する会社を興す。 「家庭のために頑張っていたんですが、やはり自分は向いていなかったんでしょうね。特定の誰かのためだったら、その人とダメだった時に、全部終わってしまう。そうではなくて人の役に立つ仕事を、しかも一生かけてやれるものをやりたいと思ったんです」
「もう一つ新しい事業を」
日テレ時代に体調を崩した時、医師からハーブティーを薦められて薬に頼らずに回復した経験を思い出し、ハーブに関する勉強を開始。ハーバルセラピストの資格を取り、2018年にオーガニックハーブによるボディケアブランド「EMARA(エマラ)」を設立した。 「今、会社は6年目に入りました。物づくりから始まって最初は楽しかったんですが、その後が大変でした。マーケティングや財務会計、経営戦略などを全く知らずに、見切り発車で会社を始めたので、どうやって売るの? 誰に売るの? ECサイトはどうするの? と行き詰まったんです。いろんな人にも騙されたりして、これではまずい、しっかり学ぼうと思って会社が4年目に入る時に、MBA(経営学修士)を取ろうと勉強を始めました」 41歳の時、早稲田大学大学院に入学。1年間通った後、妊娠・出産のため休学した。今年10月から再び通い始める予定だ。 「大学院の学生は、30代が一番多いんですが、40代、50代もいて、様々な職業の人がいてすごく楽しい。あとの課題は、残りの必修と卒論です」 民放のアナウンサーとして活躍後、フリーアナウンサーとなり、経営者もやりながら、大学院に通い、再婚、不妊治療、高齢出産……。“おバカ”キャラの印象が強いが、いつの間にか何でもこなすしっかり者になっていた。 「自分の中で、全然しっかり者という感じはありません。たぶん、やるかやらないかとなった時に、私はただやってみるという選択をしただけなんです。現在の会社も大きくしたいんですが、できれば、大学院で学んでいることを生かして、もう一つ何か新しい事業をできないかとも考えています」 宮崎さんには、さらにやりたいことがある。 「今の日本は、いいものを安い価格で売る国になっている気がします。もったいないですよね。その点、フランスやイタリアなどは、ラグジュアリーブランドという価値のある ものを高く売っている。きちんとブランディングができているんです。日本には素晴らしいものがたくさんありますが、ラグジュアリーとしてのイメージで世界的に有名なものはとても少ないんです。日本人の謙虚さが裏目に出ている気もします。いいものに対してはこんな価値があるということを 世界に発信する、そんな仕事ができればと思っています」 デイリー新潮編集部
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