大みそかに井岡一翔が挑むリベンジマッチ ~最高難度の世界王座復帰
一度負けた相手に勝つ――リベンジもボクシングの醍醐味のひとつである。リベンジにもいろいろあるが、世界タイトルマッチで王座を追われた前チャンピオンが、自分を破った相手と再び戦ってこれに勝ち、再び世界のベルトを腰に巻くというケースは稀である。 なにしろ100人を超す世界チャンピオンを輩出した日本のボクシング界でも、過去にわずか4人(5例)しかいないのだから、相当な難事と言っていい。 自分を無冠に追いやった相手に挑戦して雪辱した最初の成功者は、「炎の男」輪島功一だ。輪島はしかも2度もリベンジを果たしている。そのキャリアで世界ジュニアミドル(現スーパーウェルター)級タイトルを3度獲得しているが、2度目、3度目の戴冠は、初戦で奪われたものを奪い返して成し遂げたのだ。 1974(昭和49)年の6月、「ショットガン」と異名をとったオスカー・アルバラード(アメリカ)に15ラウンドKO負けを喫し、7度目の防衛に失敗した輪島はその7ヵ月半後にアルバラードと再戦。判定勝ちを収めてタイトル奪還に成功し、「不死鳥」といわれた。 しかし2度目の王座は長くなく、初防衛戦で柳済斗(韓国)に7ラウンドKO負けし再び無冠となる。これにめげず、次戦でまたしても挑戦者コーナーからリングに立った輪島は今度は柳を15ラウンドKOで王座から引きずり下ろした。この時は「奇跡の男」と呼ばれた。ボクシング界のみならず日本中が輪島の奇跡にわき返ったものだ。 輪島に続く偉業までは約30年待たねばならなかった。2004年、川嶋勝重に初回KO負けを喫して8度守ったWBC(世界ボクシング評議会)スーパーフライ級王座から陥落した徳山昌守が、翌年のリマッチで文句なしの判定勝ちを飾り、再びWBCスーパーフライ級王座にカムバックした。 ミドル級の村田諒太は2018年10月、ラスベガスでWBA(世界ボクシング協会)ミドル級王座をロブ・ブラント(アメリカ)に譲った後、翌年7月に場所を大阪に移しての再戦に挑み、2ラウンドTKO勝ちで奪回。 最近の成功例は寺地拳四朗(BMB)だ。2021年9月、矢吹正道(緑)に10ラウンドTKO負けでWBCライトフライ級王座V9に失敗。しかしダイレクトリマッチでは3ラウンドKO勝ちし、半年ぶりに世界チャンピオンに復帰した。現在寺地は2階級制覇のフライ級チャンピオンとして君臨し、矢吹もまたIBF(国際ボクシング連盟)のライトフライ級でチャンピオンの座に返り咲いたばかり。 この通り、リベンジと世界王座カムバックを同時に達成した例は少ない。変則的なケースには辰吉丈一郎がWBCバンタム級正規王座を奪われた相手のビクトル・ラバナレス(メキシコ)と同級暫定王座の決定戦で再戦して勝ったことがある。