「巨人を後悔させてやる」星野仙一が大乱闘で王貞治に拳を向け、”落合博満獲得合戦”をひっくり返したわけ…「根底にはドラフトの遺恨が」
激しさを演じていたが、本質は繊細な優しい人
星野の視線の先には常に巨人があった。打倒巨人が本気だから、選手にも本気を求める。拳を振るってでもファイティングポーズをとらせた。その結果、'90年にも巨人と再び派手な乱闘劇を演じている。 就任2年目の'88年に巨人を破りセ・リーグを制覇。'91年に一度、退任したが、'96年から2001年まで2度目のユニフォームを着て、'99年には再び優勝を名古屋に届けた。'02年から2年間は阪神で指揮を執り、そこでも打倒巨人を旗印に'03年にリーグ優勝を果たしている。 そんな星野の手腕に目をつけたのが、読売新聞グループのドンと言われた巨人の渡邉恒雄オーナー(当時)だった。'05年オフには宿敵・巨人の監督就任の話が実現寸前まで進んだ。星野ファンにとっては、“悪の帝国”への闇落ちを思わせる事態――。しかし巨人OBの猛烈な拒絶反応などで、最終的に話は潰れる。それから6年後の'11年から楽天で3球団目となるユニフォームを着て、'13年に星野らしく日本シリーズで巨人を下して初の日本一へと上り詰めた。 「元々は阪神ファン。でもドラフトで巨人に入る夢を見た。その夢が打ち砕かれると、その裏返しで巨人に闘志むき出しで向かっていく激しい自分を演じてきた。でも本質は繊細な優しい人でした」
言葉を口に出せず歌で謝った…
児玉には忘れられない思い出がある。 「最下位になった年('97年)に巨人戦で負けた帰りのバスで、運転席の横を蹴飛ばしたことがあった。『チームの中はいいけど、他の人にはやめてください』と注意したら、何か険悪なムードになっちゃった」 宿舎に戻ってすぐに部屋を訪ねたが、すでに星野の姿はなかった。 「電話をかけたら六本木の鮨屋にいたので、そこに行って一緒に食事をした。黙々と鮨を食べたら、星野がカラオケに行こうと言う。そこで因幡晃の『わかって下さい』という歌を歌ったんだ。ああ、俺に向かって歌っているのかと思ったら、何かすごく弱いところを見たような気がした」 世界の王の胸ぐらに掴みかかった男は、過ちを言葉にできず歌で謝ったのである。選手を殴り、打倒巨人に人生を懸けた闘将の、それがもう一つの姿だった。
(「Sports Graphic Number More」鷲田康 = 文)
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