「巨人を後悔させてやる」星野仙一が大乱闘で王貞治に拳を向け、”落合博満獲得合戦”をひっくり返したわけ…「根底にはドラフトの遺恨が」
星野野球のルーツは川上哲治
星野は'82年に現役生活に終止符を打つと、評論家として4年間、ネット裏から野球を勉強した。ただし籍を置いたのは地元・名古屋の放送局でも中日球団の親会社の中日新聞(中日スポーツ)でもなかった。NHKと東京に本拠を置く日刊スポーツ。中日OBとしては異例だったが、その決断の背景には両社で評論活動をしていた元巨人監督・川上哲治の存在があったのである。 「川上のおっさんはな、俺の野球の先生や」 '86年オフに中日の監督に就任した星野がこう囁くのを、スポーツ紙の中日番記者だった筆者は聞いたことがある。星野野球のルーツは中日ではない。川上野球、つまり“悪の帝国”巨人の総帥、ダース・ベイダーの野球だった。 「初めて巨人のグアムキャンプ取材に行って、帰ってきたら感動していたのを覚えています。『西本(聖投手)が朝から海岸を走っていた。あんな奴は中日にはおらん』とかものすごい勢いで話が止まらなかった」 児玉が語るように、星野は巨人を倒すために巨人から学んだのである。
巨人先行の「落合獲得合戦」をひっくり返した
そして監督になると、まず選手たちに見せたのが、“悪の帝国”を倒すことが決して絵空事ではないということだった。 「星野さんが監督になるって話が出た瞬間にチームがピリピリしたムードになって、特にベテラン選手の人たちの顔色が変わりました。それでいきなりあのトレードでしたから……みんな度肝を抜かれました」 宮下が振り返ったのは監督就任発表直後、'86年オフの“落合獲り”だった。 フロントとの確執からトレード市場に出されたロッテ・落合博満内野手の獲得に、真っ先に動いたのは巨人だった。しかしロッテが指名した交換要員の一人の斎藤雅樹投手を巡って交渉が頓挫。その情報を聞きつけた星野が、主力の牛島和彦投手ら4選手を交換要員に一気に話をまとめて、落合を巨人から掻っ攫ったのである。 「それまでの中日だったら、絶対に実現しなかったトレードでした」 児玉は言う。 「フロントから本社まで全部、星野が説得して実現させてしまった。もちろん勝つために落合が必要だった。同時に巨人に一泡吹かすことが、チームを変える一歩になるという思いもあった。翌年の“ベロビーチジャック”もそう。その2つが大きかった」 就任1年目の'87年シーズン開幕からユニフォームをロサンゼルス・ドジャースとそっくりのデザインに変更。2年目の'88年には米・フロリダ州ベロビーチでドジャースとの合同キャンプを行った。川上が「ドジャースの戦法」を学び、V9の礎を築いた聖地を星野がジャックしたのである。
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