【平成から次代へ オカルトどう変わる】 子どもだまし終わらせリアル追求へ 山口敏太郎氏に聞く
幽霊がスマホに宿るといわれるネット時代、オカルトや不思議な世界はどう変わっていくのか。前回は、来年40周年を迎える雑誌『ムー』(学研プラス)の三上丈晴編集長に話を聞いたが、今回はその『ムー』が作家デビューのきっかけとなりながらも、「そこに自分の居場所はなかった」と独自の世界観で作家活動を続け、近年はトークライブやオカルトにちなんだ町興し活動なども積極的に展開中の山口敏太郎(やまぐち・びんたろう)氏に聞いた。
オウムが暗い影を落とした時代 研究者としての立場に活路
「僕は1996年に『ムー』でミステリー大賞をいただいてデビューしたのですが、先輩方がいっぱいいて上には行けなかったんです。それで、これは自分で活路を見出すしかないと、コンビニの書籍やネット、テレビ進出などを積極的に図っていきました」 しかしその頃はすでに、95年の地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教がオカルト界にも暗い影を落としていた。オウム真理教の前身「オウムの会」は85年にはヨガ団体の体で空中浮遊の記事などを『ムー』や『トワイライトゾーン』(ワールドフォトプレス、89年休刊)といったオカルト系の雑誌に寄稿するなど、戦略的に出版、マスコミに打って出ていたのだ。 「サリンの事件がオウム真理教によるものだと発覚した後から、ずっとコンプライアンス違反ということでオカルトに対して負のイメージがついてしまったんですよ」 そんな中、山口氏が活路を見出したのが、アカデミックな世界だ。 「放送大学の大学院を修了して、学者や研究者という身分を手に入れたんです。オカルトを社会学として、あるいは民俗学として語るという切り口を出していったんです。妖怪は民俗学、幽霊は心理学や大脳生理学、UMA(未確認動物)は生物学、UFOは軍事兵器や陰謀を切り口に語るというスタイルでコンプライアンスをクリアして、一時は『もうオカルトは扱えない』と言っていたテレビ局が、『それなら問題ないです』となった。オカルトの扱いを、僕らが苦労して正し、直したという自負はあります」