「私の人生、終わったな」恋も仕事も順調だった27歳で突然“卵巣がん”宣告…大企業出身の女性(32)が明かす、がん発覚の経緯
フードコーディネーターとして活躍する長藤由理花さん(32)は、27歳のときに卵巣がんが発覚。抗がん剤治療の影響で妊娠も難しいと言われたが、奇跡的に妊娠。そして現在、3歳のお子さんの子育て中の長藤さんに、がん発覚から闘病生活について、また当時の仕事や恋愛についても話を聞いた。(全3回の1回目/ 2回目 に続く) 【貴重な写真】27歳で“卵巣がん”宣告されたときに交際していたパートナーとの“ラブラブツーショット”を見る ◆◆◆
元リクルート勤務で、バリバリ働いていた
――現在、お体の方はいかがですか。 長藤由理花さん(以降、長藤) 今年の5月で卵巣がんの手術から丸4年を迎えたんですけど、寛解期間の4年の間は治療も通院もほとんどせずに過ごせています。私の場合、あと1年の丸5年で完治になります。 ――病気を忘れるくらい、普通の生活を送れている? 長藤 そうですね。もう思い出すことはあんまりなくなりましたね。 ――27歳のときに卵巣がんがわかるまではどんな生活を? 長藤 当時はリクルートという会社に勤めていまして。 ――忙しいイメージがあります。 長藤 数字やノルマに厳しい会社ではあるのでご想像通りだと思うんですけど(笑)、ただ当時は30代後半までに自分の好きな料理の仕事をやりたいと思っていて、そのために裁量権の大きいリクルートに入って修行しようと思って、25歳の時に転職したんです。 それで、平日は営業職の会社員として働きつつ、土日はフードコーディネーターの資格を活かして個人で仕事を受けるような生活をしていて。 ――ほとんど休みなく働いていたんですね。 長藤 今思うと、体的にはかなり無理をしていましたね。間借りでカレー屋さんをやったりとか、料理に関しては仕事というかほとんど趣味でしたし、仕事も楽しくやっていたのでストレスではなかったんです。
健康的な生活を送っていて、体も強かったが…
――平日も夜遅くまで仕事をされていたんですか。 長藤 朝9時に出て夜8時に帰って来るような感じですね。 ――ご飯もそれからご自分で用意して? 長藤 そうですね。都内で一人暮らしをしていたので。ただ、食に関しては好きな部分でもあったので、休みの日に作り置きしてそれを平日に食べる感じで、外食はほとんどしなかったです。 ランチも、コンビニのご飯はなんとなく避けていて、自分でお弁当を作っていたので、20代後半の食生活としては悪くなかったんじゃないかなって。 ――かなり健康的な生活を送られていたんですね。 長藤 そう思います。毎日、朝ご飯も野菜のお味噌汁と焼き魚をしっかり食べて出勤していましたし、お酒も週末に飲む程度で、人よりも健康意識は高いと思っていました。 ――実際、体も強かった? 長藤 大きな病気をしたこともなかったですし、会社の健康診断は毎年、有料のオプション検査も含めてやっていて、すべての項目でA判定でした。