組織の変化を説明する進化理論
■組織の継続的な変化・進化を説明する理論 マクロ心理学ディシプリンの締めくくりとして、進化理論(evolutionary theory)と、同理論の影響を受けて発展し、いま世界の経営学者から高い注目を受けるダイナミック・ケイパビリティを解説していく。 両理論に対する学者の関心が高い理由は、これらが「組織の動的な変化・進化」を説明するからだ。「組織はなぜ、どのように変化するのか」「組織を進化させ続けるために注意すべきことは」といった疑問を、解き明かしうる理論なのだ。本章は、前者の進化理論のエッセンスを解説する。なお進化理論については、本書『世界標準の経営理論』第31章で社会学ベースの理論も提示している。ともに組織進化のメカニズムを解き明かすための理論だが、ディシプリンが異なるのだ。両者を比較しながら読んでみるのも、面白いかもしれない。 進化理論は、すでに30年以上の歴史を持つ。その記念碑的な著作が、コロンビア大学のリチャード・ネルソンとシドニー・ウィンターが1982年に発表した An Evolutionary Theory of Economic Change(邦訳『経済変動の進化理論』)である※1。世界の経営学者の間では、“Nelson & Winter”といえばすぐにこの本と通じるほどに、よく知られた著作だ。同著の発表以降、経営学では進化理論について大量の研究が行われてきた。 進化理論は、当時の(古典的な)ミクロ経済学への批判が根底にある。その批判の理論的支柱は、本書の第2部を通じて基盤となっている、ハーバート・サイモンを祖とする認知心理学・カーネギー学派だ(詳しくは、本書『世界標準の経営理論』第11章を参照)。進化理論は、カーネギー学派の影響を強く受けている。 認知心理学・カーネギー学派は、人・組織には認知に限界がある、という大前提に立つ。人は事前にこの世で自分が取りうるすべての選択肢を把握したり、その帰結を数学のように計算したりするのは不可能だ。 したがって現実の人や組織は、(1)限られた選択肢の中から最適な一つを選び、(2)それを実行し、そこから学習することで認知を広げ(サーチ)、(3)徐々に選択肢を増やしていく。この「限られた選択肢」→「実行によるサーチ」→「認知の拡大」といった一連のプロセスに肉薄するのが、カーネギー学派だった。 進化理論も、限定された合理性を基礎に置くのは同じだ。一方で進化理論は、カーネギー学派を超えて、「組織の進化」に焦点を当てるのが特徴だ。ここで決定的な役割を果たすのが「ルーティン」という概念である。ここからは、進化理論の核心といえるルーティンに焦点を絞って解説する。 ■ルーティンとは 日本でも「ルーティンワーク」などの言葉は定着している。例えば、「出社してまずメールをチェックする」といった、個人の仕事の習慣を指す場合が多い。進化理論のルーティンも、表層的にはそれと近い意味で使われる(しかしその真意は大きく異なることを、これから解説していく)。 例えばウィンターは、ルーティンを以下のように定義する※2。 Pattern of behavior that is followed repeatedly, but is subject to change if conditions change(Winter, 1964, p263.) 繰り返し行われ、しかし状況の変化によって変わることもある、行動パターン(筆者訳) 定義から明らかなようにルーティンの特徴は、2つだ。第1に、「繰り返される行動パターン」であるということだ(第2の特徴である「変化」については後ほど解説する)。進化理論のルーティンは、個人の習慣ではなく、あくまで組織・集団が繰り返す行動パターンを指す※3。 本書『世界標準の経営理論』第11章で、カーネギー学派の「組織の標準化された手続き」(standard operating procedure)に触れた。繰り返しだが、組織は認知に限界があり、サーチにより徐々に認知を広げることで、学習し、進化していく。しかし組織は認知に限界があるから、「得た知をそのまま留めっぱなし」にしては、やがて組織の認知キャパシティが満たされてしまい、新しい知が収まらなくなる。したがって組織が得た知は、キャパシティに負担がかからないように埋め込む(=記憶させる)必要がある。 その手段の一つが「組織の標準化された手続き」だ。得られた知が、組織内で「当然のように埋め込まれた慣習」にまでなってしまえば、認知負担は大幅に下がる。すると組織の認知キャパシティに余力が生まれるので、さらに学習を続けられるのだ。進化理論のルーティンは、これを洗練したものと考えればよい。すなわち、組織メンバーが似た行動を繰り返すことで、それが「意識しなくても、この組織では当然の行動」としてパターン化され、埋め込まれていくことだ。 ポイントは「行動」にある。ルーティンで埋め込まれるのは単純な知識だけではない。組織の人々がともに同じ業務プロセスを繰り返し行動することでパターン化され、無意識に埋め込まれるものまでを指す。すなわち「暗黙知の共有」である。暗黙知は、(暗黙なのだから)認知に負担をかけない。前章の「組織の知識創造理論(SECIモデル)」で登場した暗黙知は、進化理論の基盤でもあるのだ。 このように、筆者があらためて定義すれば、「組織のメンバーが同じ行動を繰り返すことで共有する、暗黙知と形式知を土台にした行動プロセスのパターン」がルーティンといえる。例えば、ある職場が新しい業務管理ソフトウェアを導入した時、ソフトウェアの操作法そのものはマニュアルで共有できる。形式知的な要素が強いからだ。 しかし、加えて職場で重要なのは、そのソフトウェアを「皆でどのようにうまく使っていくか」というノウハウ、言わば「仕事の進め方」だ。そしてこれは、メンバーたちがそのソフトウェアをともに繰り返し使うことでのみ、職場に浸透する。ノウハウは暗黙知の要素が強く、ルーティン化がカギになるのだ。 【動画で見る入山章栄の『世界標準の経営理論』】 認知心理学ベースの進化理論 ダイナミック・ケイパビリティ理論 エコロジーベースの進化理論 ※1 Nelson, R. R. & Winter, S. G. 1982, An Evolutionary Theory of Economic Change, Harvard University Press.(邦訳『経済変動の進化理論』慶應義塾大学出版会、2007年) ※2 Felin, T. & Foss, N. J. 2009.“Organizational Routines and Capabilities: Historical Drift and a Course-Correction Toward Microfoundations,” Scandinavian Journal of Management ,Vol.25,pp. 157-167. ※3 ネルソンとウィンターは、著書の中で、個人が繰り返す行動を“Habit”と呼んでルーティンと区別している。
入山 章栄