久保建英や鈴木唯人、OAの招集を議論するのはナンセンス。日本は北京五輪の時のような「メダル以上の経験」を考えるべき【コラム】
そもそも欧州にはU-23という括りがない
7月24日、パリ五輪開幕に先駆け、サッカーは幕を上げる。 日本はグループDで、パラグアイ、マリ、イスラエルと戦うことになっている。南米、アフリカ、欧州の雄が相手だけに、簡単な試合ではない。まずは2位以内に入って、準々決勝に進むことが目標だが…。 【PHOTO】パリ五輪に挑むU-23日本代表メンバーを一挙紹介! 「なぜ久保建英や鈴木唯人などを招集できず、オーバーエイジ枠(OA)も使えなかったのか?もっと入念に交渉すべきだった」 そんな議論がいまだ燻っている。たしかに最強チームではない。 しかし、これ以上を求めるのはナンセンスだろう。 なぜなら、五輪代表は海外のクラブの選手を招集する権利を持っていない。五輪はFIFA主催ではなく、各クラブに派遣義務がないからである。たとえどんな交渉を試みても、リスクしかない五輪代表派遣を快諾するはずはない(日本人が経営に参画しているシント=トロイデンやトップチームに所属していない選手を除いて)。力のあるクラブとの交渉は成立せず、三戸舜介や斉藤光毅がメンバーに入れたこと自体が僥倖だ。 日本が五輪を重視するなら、昨年のアジアカップに招集しない代わりに五輪招集を俎上に乗せる手もあったかもしれない。ただ、フル代表の事情を考えたら、それも考えにくいだろう。 そもそも、U-23という括りは欧州サッカーにはない。U-21が最後の育成年代である(事実、U-21欧州選手権が五輪出場予選を兼ねている)。U-23はワールドカップという世界一を決める大会がすでにある中、救済措置的に絞り出したカテゴリーと言える。オーバーエイジも有力選手をゲスト的にプレーさせるためで、マーケティング的観点に立った落としどころなのだ。 つまり、アジア王者になった日本は、その面子で大会に挑むのがもともと本筋だろう。どこの国も、同世代で世界的に活躍している選手は、フル代表の大陸別大会に出場している。いつまでも、招集に関する議論をしていても意味がない。「五輪でも見たい」という意見もあるが、選手の体力や心は有限であって、すべての大会に出場することは致命的な結果につながりかねないのだ。 一つの模範がある。 2008年の北京五輪、日本はOAなしで出場し、全敗を喫した。打ちひしがれるほどの差だった。しかし本田圭佑、長友佑都、岡崎慎司、香川真司、内田篤人などはその敗戦を糧に勇躍した。世界との遭遇が、彼らの才能を目覚めさせたとも言える。 五輪を軽んじるわけではないが、日本サッカーは「メダル以上の経験」を考えるべきだろう。無論、必勝の姿勢で立ち向かわなければ、敗北の悔しさも味わえない。スケール感のある高井幸大、センスは間違いがない半田陸、ファンタジスタの匂いがする荒木遼太郎などが化けられるか。 大岩剛監督率いるチームのひのき舞台だ。 文●小宮良之 【著者プロフィール】 こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。