石破首相はなぜ「ウケない」「新味のない」政策を唱え続けるのか 日本消滅の危機とは
人口減少楽観論の間違い
人口が減少することを悲観しなくてもいい、という人もいます。 「そもそも狭い国土に1億数千万人もいるから窮屈なんだ。明治時代の人口は4000万人。そのくらいでもいいじゃないか」 こういう論理です。たしかに一見、説得力のある意見です。家も広くなりそうですし、通勤電車も混まなくなるから、いいような気もします。しかし、これは人口の「数」のみを見て、「中味」を見ていない議論だと言わざるをえません。 明治時代半ばの人口4000万人のうち、高齢者の占める割合はごくわずかです。当時の平均寿命は40代前半。だからこそ明治以降、日本の人口は爆発的に増えました。明治維新から100年間で3倍になったのです。 戦後、1950年においてすら日本の高齢化率(人口のうち65歳以上の占める割合)はわずか4.9パーセントでした。それがもう25パーセントを超えています。 おそらく明治時代の老人、昭和の老人よりも今のシニア世代のほうが若く、お元気なのでしょう。それは実に良いことです。 しかし、いかに今のシニア世代が元気で若々しく、時に恋愛に対しても積極的であったとしても、若者のように子どもを作ることはできません。また、消費にせよ生産にせよ、やはり限度があります。極端に高齢者が多いようでは、活力ある国家とは言えないのです。 明治時代を引き合いに出して、「だから人口が減ってもいいじゃないか」というのは、あまりに楽観的、あるいは無責任な考え方だと言わざるをえません。 このままの傾向が進めば、日本国はサステナブル(持続可能)ではなくなる。その認識を前提として共有する必要があります。 「今はとりあえずそんなに困っていない。それならば当分はこれでいいじゃないか」 そう考える方もいるでしょう。 しかし、そのような思考法が蔓延しているから、日本はこれまでいろいろな問題を放置してきたのではないでしょうか。 食料自給率を上げよう、という方針について反対する人はほとんどいません。しかし、そのための目標を本気で設定し、方策を本気で考え、デメリットも含めて皆で共有するといった作業をしてきたのか。答えはノーです。 人口問題も同様です。 そして、こうした大きなテーマに関して、「中央政府に任せておけばいいや」と考えているようではもはやどうにもなりません。むしろ、その逆の発想が求められます。 国が地方を変えるのではなく、地方の真摯な取り組みこそが国を変える。そのような考え方を共有すべきである。これが初代の地方創生担当大臣をつとめた私の結論です。別の言い方をすれば、「地方創生」の集積が、日本全体の「創生」になる、ということです。