「五輪落選の逸材→W杯日本代表」大迫勇也に柿谷曜一朗、鎌田大地と伊東純也…実は多い「(三笘)薫が活躍したので」東京世代だと誰?
22人だった東京五輪でも選ばれなかった逸材が
最後に――現在の日本代表の中核を占める東京五輪世代も見ていく。 【2021年:東京五輪】 〈東京五輪代表メンバー〉 GK:大迫敬介、谷晃生、鈴木彩艶 DF:酒井宏樹※、中山雄太、板倉滉、吉田麻也※、旗手怜央、冨安健洋、橋岡大樹、町田浩樹、瀬古歩夢 MF:遠藤航※、久保建英、三好康児、堂安律、三笘薫、相馬勇紀、田中碧 FW:前田大然、上田綺世、林大地 〈代表漏れした主な選手〉 伊藤洋輝、町野修斗、小川航基、菅原由勢、中村敬斗 チームを率いる森保一監督は、トルシエ以来のA代表&五輪代表監督兼任となった。 加えて、コロナ禍の影響で東京五輪の開催が21年にずれ込み、登録選手数も22人に拡大。さらに協会の欧州拠点の活用で海外クラブとの交渉が円滑になり、オーバーエイジ3枠をしっかり活用できたことなどから、ラインナップは2年後にわかるW杯のそれと非常に近いものに仕上がっていた。 ホームでの戦いではグループステージを順調に首位通過し、トーナメント初戦はニュージーランドをPK戦の末に退けた。だが、準決勝でスペインに屈し、3位決定戦ではグループステージで倒したメキシコに敗れ、またしてもメダルを逃してしまった。 東京五輪でメンバー漏れした選手では、五輪後にみるみると頭角を現した伊藤洋輝や町野修斗、中村敬斗がカタール行きを果たしている。とくに21年6月にシュツットガルトへ移籍した伊藤の成長ぶりは本人も驚くほどだった。貴重な左利きのセンターバックとして評価を上げ、カタールでもグループステージのコスタリカ戦でピッチに立った。来季バイエルンでプレーすることになるとは、東京五輪の時点では想像もできなかったはずだ。
小川航基が語っていた「薫が活躍していたので…」
大会が迫ってからの選手選考にサプライズが少なかったのは、20年に入るとコロナ禍で国際試合が中止され、リーグ戦も中断するなど、アピールする場そのものが限られてしまった影響もあるだろう。 17年のU-20W杯に堂安律と並ぶエースとして出場した小川航基は、この時期の選考レースの難しさをNumberWebのインタビューで語っていた。J2の磐田でプレーした20年についてだ。 「最終的に9得点で終わりました。最低でもその倍は取らないといけないと思っていましたし、薫(三笘)が二桁得点、二桁アシストをしてすごい活躍をしていたので自分ももっと頑張らないといけないと思ったんですが……。監督が期待する結果を残し切れなかった」 苦しんだ小川も、その後は横浜FCを経てオランダのNECに移籍し、昨季は11ゴールの活躍。今年3月に約4年ぶりの代表復帰を果たしている。 アトランタ五輪からメンバーの当落とその後を振り返ったが、思い知らされるのは五輪後の選手キャリアの不確かさだ。この時点で怪我や不調、力不足のため落選したとしても、その後の逆転はいくらでも可能。小野伸二や遠藤保仁、長谷部誠に家長昭博、そして大迫たちが鮮やかに証明してくれている。 <アトランタ・シドニー編、アテネ・北京編からつづく>
(「サッカー日本代表PRESS」生島洋介 = 文)
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