阿川佐和子「限界暗記」
その女子校の先生が教えてくださった。 「主の祈りは、中央線の四ツ谷駅と信濃町駅の間にあるトンネルの中で、ちょうど唱え切ることができるのですよ」 その話を聞いて以来、電車に乗って四ツ谷駅と信濃町駅の間のトンネルに差し掛かると、慌てて主の祈りを唱え始める。ゆっくり唱えると、最後の「アーメン」を言う前にトンネルを出てしまう。さりとて早口にし過ぎると、トンネルを出る前に祈りが終わってしまう。この按配が難しく、また面白く、何度も試した記憶がある。 娘時代を過ぎ、歳を重ねるに従って、記憶が曖昧になり、三行目あたりでつっかえるようになった。でもおおかたは覚えているものだと、いつも安堵した。 子供の頃、それがどういう意味で何を言っているのか理解できなくとも、「とにかく暗記しろ」という教育が多かったように思う。校歌も「君が代」も「主の祈り」も、突き詰めて考えると、よく理解できていない箇所がところどころにあったが、なぜか今でも前頭葉にしっかり保管されている。
亡くなった母が認知症になってまもなく、しきりに口にするようになったのは、歴代の天皇である。 「神武 、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安……」 私が車を運転して母をどこかに連れて行く道中、病院の待合室で順番を待っているとき、食事中、ソファにごろりと仰向けになった状態で、ふと思い出すらしい。 「小学校のとき、全部言えたのよ」 そう自慢する母は、たしかにスラスラと流れるようにそらんじてみせる。が、途中、二十代目あたりでつっかえる。 「あれ?」 母はちょっと首を傾げると、また最初から、「神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化 、崇神、垂仁、景行……」と、スラスラ言って、また同じところでつっかえる。そのことが悔しいらしい。 「昔は全部、言えたのよ。だって覚えさせられたんだもの」 誇らし気にそう言って、何度も何度も同じところでつっかえて、そのうちフッと別のことに関心が移るのだった。