「苦手なこと」は克服するのではなく“回避する” 「恐怖」は人が生きていくために必要不可欠
どう考えても、あらゆる恐怖を取り除くことなど不可能です。だとしたら、恐怖という強い言葉でとらえないで、「私は電話が苦手」「ちょっと好きじゃない」くらいのニュアンスでとらえていれば、気持ちが楽になるのではないでしょうか。 ■「電話恐怖症でよかった」と思える日のために 何かこわいものや固執するものがあっても、そのうち気にならなくなることもあります。丸いものがこわかった私の友人の子どもの例もそうですが、私自身にも同じ経験があります。
ちょうど大学卒業を控え、就職活動をしていた時期に強迫観念にとらわれたことがありました。 自分の手が、ちょっとしたことをしてもすぐに汚れてしまったように思えて、頻繁にせっけんで手を洗わないと気がすまない。家の中で家族が私のものにさわっただけでも、「お父さん、手、洗った?」と血相を変えて聞くので、えらく不興を買いました。 でも就職活動が終わって落ち着いたら、必要以上に手を洗うことはなくなりました。誰しも自分に余裕がないと不安が強くなる傾向があります。でもその不安の原因がなくなると、きれいさっぱり忘れてしまうこともあるのです。
私の場合も、しきりに手を洗っていたのは、手が汚染されているという恐怖ではなく、違うところに原因があったのです。その原因が取り除かれれば、恐怖は消滅したのでした。 ですから、もし今何かに対する恐怖や不安があるなら、少しふり返って「自分が今何に困っているのか」「何を解決しないといけないのか」を考えたらいいのではないでしょうか。 就職して、電話がとてもこわくなったという人は、もしかしたら、職場の環境や仕事そのものに問題があるのかもしれません。あるいは人間関係に行き詰まっている可能性もあります。
原因がどこにあるのかふり返ってみて、原因を取り除くことを考えてみてもいいと思います。原因が解決できれば、私の手洗い恐怖のように、いつのまにかなくなっていることもあるかもしれません。 ■恐怖心が人間性を磨く それに恐怖心は悪い影響ばかり与えるものではありません。それがあることで、逆に生きる原動力になっている面があります。欠点と同じように「自分のこういうところがダメだから、ここをがんばろう」と健全な方向に成長する力になるのです。