「どんなに努力しても100人に1人無理な人がいる、それがあなたです」納言・薄幸が感じた引き際と「帰りのタクシーで号泣した日」
── 憧れていた芸人さんはいましたか? 薄幸さん:さまぁ~ずさんや、チュートリアルさんかな。 ── 中学、高校時代は学校をサボりガチだったとおしゃっていましたが、ワタナベコメディスクールではいかがでしたか? 薄幸さん:1年コースで週1回通っていましたが、まったくサボらずに熱心に通ってました。学校の勉強は全然好きじゃなかったんですけど、アルバイトもそうですが、自分の興味があることとか、やりたいことに関しては我ながらめっちゃやるんですよ。
■肌荒れや湿疹も出てきてしまい ── 2010年に女性芸人とコンビを組み、2015年に解散。その後、2017年に「納言」を結成されました。2019年あたりから一気にブレイクしていったと聞いています。 薄幸さん:コンビ結成からブレイクは早かったと思いますね。お笑いの仕事だけで食べられるようになったのは、コンビを組んで2年目あたりから。『アメトーーク!』やネタ番組の出演が決まって、一気に仕事が増えたのもこのころです。
── お仕事を通していちばんキツイなと思ったのはいつくらいですか? 薄幸さん:コンビを組んで1年目がいちばんきつかったですね。同期よりテレビに出るタイミングが早かったこともあって、当時は番組に出ても先輩ばかりでした。ひとりだけ太田プロで、あとは吉本の芸人さん同士が仲良くでき上がっているところに入ることも多かったので。お決まりの流れや、そもそもテレビの仕組みをよくわかっていないまま、とにかく「前に出て!」って言われていたので、しんどかったですね。味方はいないなって思ったし、初めて肌荒れとか湿疹も出ていたし。
── ストレスもすごそうです。 薄幸さん:当時はほぼ毎回落ち込んでましたね。番組に出て、帰りのタクシーで号泣しながら帰った日もありましたし、芸人仲間や先輩にもよく話を聞いてもらいました。あと、ありがたいことなのですが、あまりに多忙だったときもよく泣きながらお酒を飲んでました。気持ちに余裕がなかったんでしょうね。ただ、『アメトーーク!』に初めて出演した日は、もうこの先、一生呼ばれないだろうなって思っていました。でも、次も呼んでもらえて。自信はなかったのですが、この感じで攻めても大丈夫なんだってすごく救われた感じがして、そんな積み重ねで今に至ります。