明治期のスカイツリー、浅草「凌雲閣」 経営危機を救ったアイドル総選挙
現代人の感覚から見ても、間違いなく美人とされる容姿である。このことは、明治に入って20年ほどで、急激に人々の美的感覚も変化し、現代のそれと近いものになったことを証明するものだろう。江戸時代は、美人といえば面長で、目が細く口の小さな女性と決まっていたからだ。 さて、この後も紆余曲折がありつつ東京のランドマークとなっていた凌雲閣だが、その終わりは突然やってくる。1923(大正12)年9月1日に起きた、関東大震災である。マグニチュード7.9、死者行方不明者数10万人以上。このとき、凌雲閣は8階付近から上が崩壊した。そして同月の23日、倒壊の危険があることから、残った部分も工兵隊によって爆破されるのだった。凌雲閣は、ここに33年ほどの短い生を終えたのである。 近代化という狂騒と、少しばかりの痛みを刻んだこの建築物は、今は10分の1の模型となって江戸東京博物館に常設展示されている。 (大阪学院大学経済学部教授 森田健司)