“幻の本”『ふれる』にふれる その2 空羽ファティマ[絵本作家]
蜘蛛の糸を離して逃げない道を
でも、そんな春馬さんが一度だけ芸能界を辞め土とお日様と共に生きようと思ったことは、ファンのみなさんはご存知だと思うがその時のことが以下だ。 【2月5日放送の『ホンネ日和』(TBS系)で、三浦春馬は兄のように慕う寺脇康文さんと対談し、役者として自信を無くし苦悩した日々について語った……。 2009年10月から12月まで放映されたドラマ『サムライ・ハイスクール』(日本テレビ系)、翌年2010年1月から3月まで放映されたドラマ『ブラッディ・マンデイ Season2』(TBS系)と、若手俳優としては異例である2クール続けての主演となった三浦。この2つのドラマの厳しい日程での撮影が、彼を精神的に追い詰め、失意のどん底に陥れたようだ。 『サムライ・ハイスクール』撮影時、今までに感じたことの無い疲労感に襲われたそうだ。主演としてずっと出ずっぱりのドラマで、あまりの忙しさに「自分の許容範囲を超えてしまった」と語る。 そしてある日ドラマの撮影が休憩に入り楽屋に戻った時、突然に三浦は携帯で“農業学校”の検索を始めたという。「役者をやめて俺は農業の道に行こう」。その時の精神状態は自分でも説明がつかないだろう。「とにかく今の状態から逃げ出したい、故郷(茨城)へ戻りたい。」この一心だったのだ。この時は母親に説得され思い止まったものの、すっかり俳優として自信が無くなってしまったらしい。 続いての『ブラッディ・マンデイ Season2』の撮影では、全く台詞(せりふ)を覚えられずに現場に入ったことがあった。すると監督から「おまえ座長(主役)なんだからさ」とこっぴどく怒られたそうだ(エキサイトニュース2012年2月6日より)】 きっとその時が、最初で最後の芸能界から離れて別の世界に行けるチャンスの“蜘蛛の糸”だったのだと思う。 農業を諦めて、“もうこの芸能界の世界で生きていくしかない”と、腹をくくった彼が、なんとか必死に「役者で居続けるための武器」を持とうと、もがいたが、 〈ああ、知識の武器を持ってもダメだったんだ。生き様という武器がないと〉と、また悩み、そしてそれでもなんとかして這いあがろうとしている姿を映した本が、この本だ。軽く微笑む姿はあるが、明るい笑顔の写真はなく痛々しくなるほど真剣に真剣に、努力しまくっている。「もういいんだよ。そこまでしなくていいんだからね! こんなに頑張り過ぎていると、30歳になる時にあなたは、命の舞台を降りなくてはならなくなってしまうんだから」と、本の中の彼に話しかける。シリアス顔して遠くを見つめ、真面目に日本文化を学ぶ彼の写真。 この本が再版されなくて、残念がっている方は多いが、再版されたらこの思い詰めた顔を見たら、辛くなる人も多いと思うからこうやって、こういう特集として彼が語った言葉を垣間見ているくらいがいいのかもしれない、とも思ったりする。 まだ、辛くて彼のDVDを見られない春馬ママにも『天外者』や『ブレイブ』などの、生き生きとした姿はそのうちぜひ観られるようになってほしいけど、この本は観ない方がいいのではないか?と思う。「母として息子の全てを知りたい」と思えるくらい心が回復したならば別だけど。 心がまだ、生傷で血を吹き出している時には痛すぎるしみんなが望むキラキラ春馬クンの本ではない。 なんとか必死に〈三浦春馬というピカピカのカッコいい車〉を乗りこなそうとした素朴な心を持った青年の………人にちやほやされるより、日本文化の侘(わ)び寂(さ)びに惹かれ休みの日は大自然の中で波に乗り、家では一人ぬか漬をつける地味で静かな生活を望んだ人の本音が書いてあるという本だからどうしても読みたかったし、いつか取り上げようと思っていたが、それまでに3年もかかった。それは三浦さんとしか呼んではいけないと思う私自身の心の準備もあって。 ……やっと春馬さんと呼べるようになったから書けたと思う。 が、「そこまでのことがこの本に書いてある?」と思う人もいるかもしれない。 正直言って、もちろんアイドルとしての立ち位置の彼だから、言葉のカットもされただろうし許される範囲があったのだと察するが、それを含んで読まないとならないと思いながら読むと、書けるギリギリの言葉で書いたことは伝わる。先月号に詳しく書いたが、 〈彼が感じた「些細な違和感」から始まった葛藤。でもその原因を追求できずに目の前のことに必死になるしかなくて。でもその違和感はどんどん大きくなっていっても、見てみぬふりして身動き取れないなっていったこと。 このままじゃいけないと誰よりもわかっていたのに気づかないフリをしていた……〉『ふれる』に書かれたその告白は、私たちの目の前から急に彼が姿を消した後に“遺言”のように現れたあの歌、ナイトダイバー(日没後に海に潜る人)の歌詞のそのもののように思えるのは私だけだろうか? (このことについては来月に改めて書きたいです) 彼がこんなにもがいた姿は、裏から見たらこんなにも生きたいと努力してくれていた、ということだ。23歳のここから30歳に行く7年間の道のりは死に向かっていたわけではないから。それは〈生きるための叫びであり、生きたかった彼の本気の姿〉だったと。どうか皆さんも思ってあげてほしいと願う。 そう思えないと皆さんもお辛いだろうし、負けず嫌いの彼はそんなふうに同情されるのは望んでないと思うから。 ……逃げ出すことができなかった…ううん。〈逃げ出さない道〉を選んだ……三浦春馬という唯一無二の俳優の……不器用で、真面目で真摯に必死な姿が、私たちはなんだかんだ言っても結局すごく……好きなのだと思う。 今はこの地上にいない彼に、 「逃げらればよかったのに」と思いつつ、見えない敵に死に物狂いで挑み、そして本当に死んでしまった……全く、全く本当に、辛かっただろう…の、彼の…そんなどうしようもない、ところも、イエ、そんな彼だからこそ好きなのだと…正直想う。 だから……春馬さん。どんな結果でもそれは貴方の選んだ道だから。貴方の人生だから。いいのだよね? これでよかったんだよね? 「がんばったね。ありがとうね」と、それだけ私たちは言えばいいんだよね? みんなのために、こんなにこんなにこんなにピカピカの三浦春馬として生きようと頑張ってくれて。 本当に。心から。ありがとうございます。 だから。今は笑っていてください。今貴方がいるその場所で。 何も努力せずただ、リラックスしてだらーっとしていてほしい。それが今の私たちの望みです。クシュっとした笑顔も、三日月の目ももう望みません。貴方が笑いたいように笑いたい時に、笑って。キープスマイリングしなくていいから。 〈みえない龍〉というミロコミチコさんの原画展に行ったよ。2024年は龍の年だよ。空を見上げれば、その背に乗って笑ってる貴方がきっといるね。 追伸。NHKの『プロフェッショナル』に春馬さんにも出て欲しかったな。 「プロフェッショナルとは?」の番組の最後をしめるいつものあの問いに 俳優三浦春馬さんはなんて答えたのだろうか?と想像してみる。 「僕自身が、人としても役者としてもホントッに精一杯務めさせていただき、しっかりと演じ切った作品を、いつも応援して下さってる皆さんが喜んでくれること」とかって真っ直ぐな目をして言ったのかなぁ……。