川勝平太・静岡県知事に聞く(全文2)東京は蟻地獄「ポスト東京時代」を発信
東京は憧れて住んでも、出られない“蟻地獄”
東京は、言ってみれば、規格化された空間にしか住めない。“万ション”とか“億ション”とかいわれたりしますが、数千万、場合によっては億単位のお金がかかるわけです。 例えば、若いときにこちらに憧れて大学を出て、これから東京で働きたいと、東京で働き、そして好きな人ができた、両方とも働いている。そうすると2人で住むところを探さなきゃいかん。しかし、買うことができない。それでローンを組まなくちゃいけない、20年とか25年間働いてローンを返していきましょう、となる。 「よかったね、7000万円かかるところが5000万円で手に入った」。「よかった、ちょっと日陰だけれども大丈夫だよ」とか。そうしたら、子供が生まれた。そうすると、子供をどっちが見るか、保育園が空いているかどうか。 迎えにも行かなくちゃいけない。「おじいちゃん、おばあちゃんに来てもらいたいけれども、どこに寝てもらうの」。そうすると、「2人なんてとても無理でしょう。もう私、こんな生活嫌だ。田舎に帰りたい」。すると「僕の仕事、どうするんだよ」となって、要するに出られないわけです。 なぜこんなことを言うか。東京の合計特殊出生率1.0ちょっと、1.1とか、もう長いこと1.0です(※2016年12月厚労省公表「人口動態統計(確定数)」では1.24)。要するに、1人しか生まないということは人口が確実に減るということです。 私もそうだったように、今の若い青年たちも、東京に惹きつけられて出てきた。僕は50歳のとき、気がついて、ここは大変だ、住むべきところじゃない、と脱出できたんです。それは、妻の同意があったから。「私、嫌」と言われたら終わりです。
「もう僕は首都圏から出たいと思う」と妻のご機嫌のいいときに。そうしたら、機嫌がいいときですから、「いいわね、そうね」。「やっぱり自然の豊かなところに住みたい」。「いいわね、じゃあ家を売らないといけない」、「それはそうでしょう」。 じゃあ相手の気持ちが変わらないうちに不動産業者にいって、そして出たわけです。ボスは今や旦那ではありません。家庭のことですから。そういうことでもなければ出られない。しかも、50ですよ、出られたのは。普通は出られない。 出られないまま、そこにいる。どんどん人が入ってくるでしょう。そして人口の自然増はない。自然増というか、出生率の2.07までの回復はない。1.0のまま。そして社会流入で補っている。これを何というかといえば、“蟻地獄”というのです。 「皆さん、こういうことでいいですか」。「この住まい方はおかしいと思う」。だから、東京から脱出するにはどうしたらいいか。これが「ポスト東京時代を開く」ということになってくるわけです。あなたは、失礼ながら福井を出たことはあったんですか。 ── 学生時代は金沢にいました。 福井から石川県に行った。下宿でしょう。金沢に行くには、福井から通うのはちょっと大変ですよね。金沢という魅力、静岡県の青年たちだって、日本海側に対し、魅力あるし、何といっても、よく三大都市と言うじゃないですか、江戸、大阪、京都。私は4都だと思っているんです。 京都は、東洋の文明、中国を中心にした文明がありますよ、お寺があったり。東京は、西洋文明のものです。どこにも伝統的なものがありません。でも大阪は商都。金沢は江戸時代の姿を持っているんです。つまり、中国のまねではありません。城下町でしょう。城下町というのは、どこかに模倣がありますか。 ── 日本の文化そのものですね。 言いかえると、中国文明から自立した姿なんです。中国文化から自立したのは江戸時代です。だから、中国に留学生も送らなくて済んだ。江戸城があったんですが、周り全部こんなふうに江戸の遺産を食い潰した。じゃあ、江戸幕府に続く大藩はどこでしょう。加賀藩です。百万石、天下の大藩ですよ。島津だと72万ぐらい、伊達藩では62、3万でしょう。圧倒的加賀百万石です。 そこにある、例えば、主計町だとか、兼六園だとか、辰巳用水だとか、あるいは宝生流だとか、狂言だとか。みな江戸のものでしょう。庭づくりも、あるいは九谷焼もそうです。漆器もそうです。お菓子もそう。加賀友禅もそうでしょう。それから加賀の料理もそうです。 こうしたものが、中国、あるいは東洋のまねではなくて、自立した。そもそも城下町がそうですから。その最大のものが金沢なんですよ。ものすごい魅力があるから、いろんな人が行くんですね。そうしたものの一つが東京なんですが、ここは“蟻地獄”だ、と。ただ、(あなたは)出たときに福井のことについてどれぐらい知っていましたか。 ── 確かに、福井を出たころは、わからなかったですね。