川勝平太・静岡県知事に聞く(全文2)東京は蟻地獄「ポスト東京時代」を発信
それから、東京の方に帰る、行ってしまうとか、海辺のまちの人口流出というのは際立っているのです。焼津、清水それから沼津、これはもう明らかに“心”ですよ。しかも、さっき話があった静岡特有の問題というのがあります。一方、静岡は名古屋にも近い、あるいは東京にも近いということ。これは日本全体が一極集中というか、東京に対して持っている一種の憧れがありますよね、若い青年。あなたはどこの生まれですか。 ── 福井県です。 福井県。私は、京都なんですよ。私は京都の盆地が嫌いでね、今は好きなんですよ。当時、もう息が詰まる、山の向こうに幸せがあると思って。そのときに、福井県と思わなかった、申しわけない。それで、やっぱり東京に行きたいなと思いましたよ。 自分のときもそうですけれども、今でもテレビのドラマを見ていると、一度は東京を見てみたい、青年誰でもそういうところがありますね。そうしたことで東京に越していく。東京をごらんなさい。どこにも緑がありません。いっぱいマンションが見えますよね。東京に住もうと思うと、よほどのことがない限り、庭つき一戸建てなんていうのは住めないですよ。 私の友人で、亡くなった森稔さんは、森ビルをたくさんつくって、「山手線の中に、庭つき一戸建てを建てるのは犯罪者だ」と言いました。だからもっと土地を有効に利用して、いわばまちを高層化して、下にはいろんな福利の施設、音楽、例えば、サントリーホールだとかANAホテルだとか。彼はそこに住んでいたので「川勝さん、私は二十数階のところで、富士山も見えるよ」と。 そこで「そんなに高いところが好きだったら、100メートルの丘に住めばいいじゃないの。エレベーター代が要りませんよ。僕は標高1000メートルのところに住んでいる。1000メートルの建物は建てられるかもしれないけれども、相当風がきつくて洗濯物干せないよ」といった。洗濯物が干せないということは、窓閉め切りでしょう。そうすると「小糠雨が降っているかどうかもわからないでしょう」と、互いに冗談を言ったことがあるんです。