「頭にネジが突き刺さった男性」が歩いて入ってきて…救急部で働く看護師が衝撃を受けた"日常とのギャップ"
■「船のスクリューに巻き込まれた」 病院は海に近いので、海の事故もあった。やはり準夜勤の時間だった。 「千里さん、急患。船のスクリューに巻き込まれたって。これから来るわ」 「ひっ」 それってかなり重症のような気がする。スクリューに巻き込まれてただで済むはずがない。 「先輩、その人、生きているんですか?」 「……死んだとは聞いていないけど。だから準備をしましょう」 「準備って何をすればいいんですか?」 「……そうね。何をすればいいのかしら?」 救急隊が処置室にドカドカと入ってきた。雰囲気からして緊迫している。医師がすぐに「バイタル、取って」と叫んだ。 千里は患者に近寄った。長靴を履いた脚があらぬ方向を向いている。脈を取るまでもないことはすぐに分かった。患者は完全に冷たくなっている。医師は、蘇生は無理と判断して、すぐに死亡時刻をカルテに書きこんだ。 千里はどうやって死後の処置をすればいいのか分からなかった。患者とは初対面で、それもすでに亡くなっている。はっきり言えば、死体を病院へ運んできたようなものである。 ■「出たとこ勝負」というストレス 病棟の患者とか手術室の患者は、みんな寝間着とか術衣を着て、言ってみれば「きれいな」格好をしている。でもここに来る患者は、当たり前のことだが普段着であり、土足である。日常を暮らしている人間に非日常的な事故が加わり、その状態で病院に搬送されてくる。そのギャップが千里にはショックだった。 (それにしても……)と千里はふと思う。もし非番の日に自分が街中で交通事故に遭遇し、脚がこんなふうに変な方向を向いている患者さんにぶち当たったら、自分は足がすくんで何もできないだろう。もしかしたら、その場から逃げてしまうかもしれない。やっぱり、白衣を着ると人間って変わるのかも。 救急部での仕事の流れは手術室とは全然ちがう。胃がんの患者であれば、これから胃切除を行うというように予定が立つ。このあとどうなるか分からないということがない。でも救急部は、患者の体の中で何が起きているかも分からないこともあった。 たとえば、意識障害の患者がくると、何が原因かは検査をしてみないと分からない。そうなると、千里は事前に何を準備するとか、これからどう医師を手伝うとか、予測を立てることがまったくできない。出たとこ勝負になる。これは千里にはストレスだった。 ある夜、電話が入った。酔った高齢男性が道端で転倒し、ぐったりしていると、通りがかった人が救急車を要請したという。千里が先輩と待ち構えていると救急車のサイレンの音がする。