昭和の匂いを漂わせた私小説の求道者に脚光……藤枝静男、あの若手作家も愛読者
マンガや評伝 漂う昭和 今も新鮮
私小説作家として自身を徹底して見つめた末に、ぐい飲みや茶碗が語り出す『田(でん)紳(しん)有(ゆう)楽(らく)』のような奔放な作品を残した作家、藤枝静男が再注目されている。小説を原作にしたマンガや、生涯をたどった評伝など関連書が相次ぎ刊行された。戦後の昭和の匂いを漂わせる姿が、新しく感じられるのかもしれない。(池田創)
戦争の記憶がまだ新しかった1950年代の人々を描写した小説が、伸びやかなタッチとポップな絵柄でよみがえった。
「藤枝の作品を読み返すと工夫があって面白く、強度のある小説だと感じる」
マンガ評論の分野でも活躍する劇画家の川勝徳重さん(32)は55年に発表された小説『痩(やせ)我(が)慢(まん)の説』をマンガ化し、リイド社から刊行した。
同作は開業医をしている「私」の元を、家出をしためいのホナミが訪ねてくる物語。獣医師を目指すホナミの明るい美しさと、めいを心配する私の揺れ動く心情を描く。原作は芥川賞候補となるも、石原慎太郎『太陽の季節』と競い敗れた。選考委員の佐藤春夫からは「単純な風俗小説の域を超えた一個の文明批評を志している」と評された。
川勝さんは天真爛(らん)漫(まん)なホナミの姿、藤枝の風(ふう)貌(ぼう)らしき鋭い目の「私」、コミカルな飼い犬の表情などを描き、叙情的にまとめ上げた。50年代の片田舎の風景や診療所なども描写し、当時の空気が立ち上ってくるようだ。「(日本映画の全盛期にあった)プログラムピクチャーのようなものを描きたかった。藤枝の原作は当時の風俗やキャラクターが生き生きとしていた」と振り返る。
藤枝は伝統的な私小説の形態を破り、新しい表現方法を模索し続けた。『悲しいだけ』で、妻を亡くした悲哀と川や山が交錯する風景を書いた。小説『空気頭』は<私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う>という導入で始まり、文体を変えながら、空想と現実が混然一体となった世界で、「私」のこれまでの歴史が明かされていく。