偶然にしては、じつに「できすぎ」ている…「パフェの日」にひそんでいた、まったく思いもよらない「衝撃の事実」
藤本英雄、おそるべし!
1950年6月28日、東京読売巨人軍は、セントラル・リーグにこの年だけ存在した西日本パイレーツ(のちに西鉄クリッパーズと合併して西鉄ライオンズ)という球団とデーゲームを戦いました。場所は青森市営球場。 なんとこの日、藤本投手は先発する予定ではありませんでした。先発予定だった別の投手が急に腹痛を起こし(カニの食べ過ぎともいわれています)、突然回ってきた代役だったのです! しかも、前夜、藤本投手は一睡もしていませんでした。明日は休みだからと、函館から移動する青函連絡船の中で、川上哲治、青田昇、監督の水原茂(! )と徹夜麻雀をしていたのです。そんな状態で、いきなり言い渡された先発登板だったというのです。 さすがに藤本投手はふらふらで、「後ろでワシが大声を出してやらんと、立ったまま寝てしまうんやないかと思うぐらい」の状態だったと、二塁を守っていた千葉茂は後年、振り返っています(2005年10月3日発行『週刊ベースボール』掲載「ベースボール博物館」より)。それでも完全試合を達成してしまったのは、おそるべし、と言うしかありません。 こうして、「藤本投手がこの日を狙っていた」という可能性は、木っ端微塵に粉砕されたのでした。 ちなみに、当時の日本球界には、この大記録を表現する用語がまだありませんでした。アメリカでは「パーフェクト・ゲーム」ということがわかり、ならばと「完全試合」と直訳されたのだそうです。 なお、日本のプロ野球における直近の完全試合は、千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手によって2022年に対オリックス・バファローズ戦で達成されており、いまだ鮮明に記憶している野球ファンも多いのではないでしょうか。 こちらの試合は4月10日に開催されたので、残念ながら「完全数の日」ではありませんでしたが、じつは「6」と「28」、2つの完全数との深い関わりがあるのです。 まず、このゲームのスコアは「6」-0でした! さらに、佐々木投手の前に完全試合を達成したのは、元読売ジャイアンツの槙原寛己投手ですが、これが1994年のことで、佐々木投手はじつに「28」年ぶりの記録達成だったのです! ちなみに、槙原投手のゲームスコアも「6」-0のおまけ付きでした。 ところで、長いプロ野球の歴史のなかで唯一、一年に2回も、完全試合が成し遂げられた年があります。それが1966年なのですが(5月1日の大洋ホエールズ・佐々木吉郎投手と、5月12日の西鉄ライオンズ・田中勉投手)、この年の下二桁が「66」であることにちょっとした感動を覚えました。 惜しくも「パフェの日」=「完全数の日」を逃した6月6日のゾロ目が、まさかこんなところに顔を覗かせているとは! 「6」と「28」、2つの完全数と完全試合との強い絆に、ブルーバックス編集部員一同、驚かされた次第です。 「パフェの日」に隠された驚きの事実、いかがでしたか? いやー、こんな偶然があるものなんですね。 〈藤本英雄が日本初の完全試合を達成した日は、暦の上で唯一、「6」と「28」、2つの完全数が合体した日だった〉 勝手ながら、編集部ではこれを「ブルーバックス発掘スクープ」として認定させていただきます! さて、完全数に興味がわいた方は、ぜひこちらの本をご覧になってみてください。日常の情景を感性豊かにとらえた金子みすゞの詩にのせて、個性的で、ふしぎな性質をもつ数が、あなたに語りかけてきます。 ---------- 美しすぎる「数」の世界――「金子みすゞの詩」で語る数論 ----------
ブルーバックス編集部(科学シリーズ)