平成事件史:戦後最大の総会屋事件(4) 突然の「自白会見」と内部告発した元社員の逮捕
「恵ちゃん、野村証券の資料を内々に集めておいてくれないか」 前述の通り、一方で「SEC」証券取引等監視委員会は前年1996年夏以降の調査で「野村証券から総会屋・小池隆一に対する利益供与」の全容をつかんでいたため、渡辺は熊﨑の指示を受け、「SEC」に野村証券の資料を提供してもらうなど、水面下で準備を進めた。渡辺は熊﨑が特捜部副部長時代の1994年、ゼネコン汚職事件で国会議員では26年ぶりとなる「あっせん収賄罪」を中村喜四郎元建設大臣に適用した経験もあり、主任検事の井内や内尾とも同期だった。 ■ 突然の「自白会見」 年が明け、1997年に入っても「SEC」による野村証券関係者への「質問調査」は膠着状態が続いていた。それでも「SEC」の特別調査官らが黙々と、粘り強く調査を積み重ねるなか、1997年3月6日、野村証券は突如として、緊急記者会見を「兜クラブ」で開くことを発表した。「兜クラブ」は、社会部ではなく経済部が常駐しているため、経済部記者が会見をカバーした。 筆者は社会部で会場からのライブ映像を注視した。よく見ると、なぜか記者会見に、野村証券の酒巻英雄社長の姿が見あたらなかった。代わりにいたのは副社長だった。 張り詰めた緊張感のなか、副社長はいきなり、社内調査の結果として、一転して総会屋・小池隆一の実弟の口座に「利益提供」していたことをあっさり認めたのだ。 「一任勘定と呼ばれる違法な取引がありました。総会屋の親族企業の口座を特別に儲けさせるよう、利益を付け替える手口で1993年春から3年間、利益を提供していました」 「実行責任者は総務担当常務と株式担当常務の2人です」 当然のことながら、記者からは副社長に厳しい質問が浴びせられた。 「第一次証券スキャンダルへの反省はないのか」「会社ぐるみではないのか」 突然の「自白会見」に筆者も驚いた。野村証券はそれまで「SEC」の調査に抵抗し、一貫して疑惑を強く否定していたからだ。
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