平成事件史:戦後最大の総会屋事件(4) 突然の「自白会見」と内部告発した元社員の逮捕
かつて「総会屋」という裏社会の人々がいた。企業の弱みにつけ込み、株主総会に乗り込んで経営陣を震え上がらせる。毎年、株主総会の直前になると「質問状」を送りつけて、裏側でカネを要求した。 【写真を見る】平成事件史:戦後最大の総会屋事件(4) 突然の「自白会見」と内部告発した元社員の逮捕 昭和から平成にかけて、たったひとりの「総会屋」が、「第一勧業銀行」から総額「460億円」という巨額のカネを引き出し、それを元手に4大証券の株式を大量に購入。大株主となって「野村証券」や「第一勧銀」の歴代トップらを支配していった戦後最大の総会屋事件を振り返る。のちに捜査は政治家への利益供与、そして大蔵省接待汚職事件に発展したーーー * * * * * 「SEC」証券取引等監視委員会が「野村証券」への調査を進める中、東京地検特捜部の人事に動きがあった。 1996年12月3日、のちにプロ野球コミッショナーとなる「特捜の申し子」熊﨑勝彦(24期)が特捜部長に就任する。被疑者と信頼関係を構築して「自供」を引き出す優れた手腕から「落としの熊さん」「割り屋」の異名をとっていた。その頃、特捜部は「ナニワのタニマチ」と言われた石油ブローカーによる政治家や官僚へのヤミ献金疑惑を捜査していたが、熊﨑は「野村証券」に大きく舵を切った。 ■「落としの熊さん」が特捜部長に 熊﨑勝彦が頭角を現したのは「リクルート事件」で労働省、政界ルートのキャップを務め、特捜「四天王」と呼ばれた頃からだ。公明党議員の池田克也の取り調べを担当した。「共和リゾート汚職事件」では阿部文男元北海道沖縄開発庁長官を入院先の病院で逮捕して取り調べ、「泥棒してでも金が欲しかった」という核心の自白を引き出した。特捜部副部長当時の1993年には主任検事として、金丸信元自民党副総裁を取り調べ、巨額の私的蓄財による脱税を認めさせた。これが「ゼネコン汚職」に発展、1994年に中村喜四郎元建設大臣を「あっせん収賄」で起訴するなど実績を残していた。 熊﨑は特捜部副部長からそのまま特捜部長に上がるとも見られたが、いったん法務総合研究所第二部長、東京地検交通部長を経て、3年ぶりに東京地検特捜部長としてカムバックした。熊﨑は着任早々、特捜部の捜査体制について、担当副部長の笠間治雄(26期)にこう言った。
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