今年で創建400年!と思いきや、まさかのフライングだった 江戸最大・富岡八幡宮の歴史を定義した神職の使命感
江戸勧進相撲発祥の地として知られ、江戸最大の八幡宮とされた東京・門前仲町の富岡八幡宮。去年の夏のある日、たまたまその前を通ると、1624(寛永元)年に造られたと記載された案内板が目に留まった。そうなると今年は400年の節目なのでは―。こう考えて自治体や八幡宮を取材すると、どうもそうではないらしい。公式見解は1627(同4)年が創建なのだという。この「3年」の違いはなぜ起きたのだろうか?街の中で見つけた小さな謎を追った。(共同通信=帯向琢磨) 【写真】信長の「朱印状」写しを発見 石清水八幡宮、乱暴や放火禁止
▽区の担当者も「初めて知った」 境内の目の前にある永代通り沿いに設置された古い案内板には、八幡宮の由来としてこう書かれている。 「寛永元年、当時永代島と呼ばれた小島に、京都の公卿が八幡神像を奉安したのが、始まりといわれています」 設置したのは東京都江東区。早速、区の文化財係に取材すると、担当者は寛永4年が創建の年だと説明した。案内板の記載と矛盾していることは「初めて知った」と言うから驚きだ。これまでに外部からの指摘や、八幡宮からの修正の依頼もなかったという。近くの商店街の人に聞いてみても「400年祭は2024年じゃなくて、もう少し先だろう」とのことだった。 ▽単なる取り違えなのかも… 区が根拠としているのは、江戸後期の1828年に八幡宮が自らの沿革を幕府に報告した「寺社書上」だそうだ。そこには創始者の長盛が寛永元年に夢でお告げを受け、同4年に幕府の許可を得て八幡宮を興した(厳密には「再興した」)と書かれている。
区によると、案内板の設置は1989年で、記述内容の根拠や経緯は記録が残っておらず不明だという。当時は歴史考証が進んでいなかったこともあり、担当者は「どこを八幡宮の始まりと定めるかは視点の違いだろう」と分析した。 確かに寺社書上には、「寛永元年」も「寛永4年」もいずれも記載がある。とすると、案内板の記述は単純な取り違えなのかもしれない。そう思いつつ、八幡宮に取材を申し込んだ。 ▽歴史的書物に「寛永元年説」 「実は寛永元年説もあるんです」。こう話してくれたのは、八幡宮の神職松木伸也さん(48)。1662年の刊行で、後世に大きな影響を与えたとされる「江戸名所記」に寛永元年と記載されていることが最大の理由だという。 松木さんは、他にも寛永元年と出て来る歴史的な書物が複数あると教えてくれた。さらに言えば、江東区史の中の記述でも、1997年発行のものだと寛永4年となっているが、古い1957年版だと寛永元年と記載されている。