【下山進=2050年のメディア第42回】渡邉恒雄死す 後継者山口寿一の原点とは? 読売新聞はどうなるのか?
「戸別配達制度を基に築かれた読売新聞の全国ネットワークは世界最強のものであり、このネットワークが崩壊することはありえません。 そんなことはないが、例えば日本中の新聞が全部つぶれても、読売新聞は生き残ります」(2009年4月1日 入社式) 毎年の社内の賀詞交換会で渡邉は社員を相手にそうした読売新聞の経営は磐石だとうけあってきたのです。 「とにかく読売新聞は磐石です。何も心配ありません。何をやっても必ず勝ちます。いかなる戦でも勝ちます。その自信があります」(2012年) 「思いきった政策を実現させ、景気を向上させ、広告収入が回復すれば、読売は絶対安全、安泰です」(2013年) 読売の社員もその渡邉の話を聞いて安心をする。それが一年に一度の行事でした。 それが、初めて様子が違ったのが、2018年正月の賀詞交換会のことです。 ここで、渡邉は、現在の読売についてこう悲鳴ともとれるような言葉を放ちます。 「読売はこのままではもたんぞ」 そして社のために正しいと思うことがあれば、「社長をぶっ殺すくらいの気概」でやれと発破をかけたのでした。 ■ヤフーというプラットフォーマーの力 渡邉のネット観をより研ぎ澄ませた形で、読売グループ全体の施策に反映させているのが、2016年に読売新聞グループ本社代表取締役社長になった山口寿一です。 山口の原点は、法務部長時代に訴訟を指揮することになったライントピックス事件にあります。 これは神戸の「デジタルアライアンス」という会社が始めた「ライントピックス」というサービスが、読売新聞社の著作権を侵害し、営業活動への不法行為を行ったとして2002年12月に提訴した事件です。 「ライントピックス」は、ヤフーに読売が提供している記事にリンクをはり、独自の見だしをつけて流すというウェブ上のサービスで、社員わずか数人の新興の会社が始めたものでした。その裁判の結果は一審は読売全面敗訴。二審でも見だしの著作権は認められず、営業活動の不法行為で、23万円の損害賠償がかろうじて認められるというもの。 山口はこのあと社長室の次長、室長として、ヤフーにかわる新聞社独自のプラットフォームをつくろうと奔走し、朝日・日経の協力をえて「あらたにす」という朝日、日経、読売の記事を読むことのできるサイトを2008年1月にスタートさせます。 「あらたにす」は結局、読売がヤフーへの記事配信を止められなかったこともあって、ふるわず、2012年2月29日に終了します。その過程で、山口はヤフーというプラットフォーマーの力を思い知ることになりました。