捕虜虐待の根底にあった「捕虜となることは大きな恥辱」嘆願書で強調した日本の”常識”~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#50
国立公文書館に法務省から移管された戦犯関係の資料。石垣島事件のファイルには、41人死刑判決の後に、マッカーサーに宛てられた複数の嘆願書があった。裁判を総括するかのようにまとめられた嘆願書には、「捕虜となることは大きな恥辱」など、当時の日本軍の常識が述べられていたー。 【写真で見る】マッカーサー元帥に提出された嘆願書の下書き
元軍人個人の見解としての「嘆願書」
嘆願書は6枚に渡り、手書きではなく活字で打たれている。1948年12月に提出するつもりで作られた下書きで、嘆願書を提出した人の名前は入っていないが、手書きで「弁護人及び被告の友人に私的にお渡しし、その人の名の下に提出された」というようなメモが記されている。メモの字が小さく癖もあるため良く読めない状況だが、かなり階級が上の元軍人が個人の見解として書いたようだ。 <嘆願書>(※現代風に読みやすく書き換えた箇所あり) 1948年3月16日、横浜の軍事法廷において判決が下された石垣島事件の被告人らのために、ここに閣下に対し私見のいくつかを表明し、被告人らの責任につき、寛大にして公正なる最終的決定が与えられるよう、御配慮賜わらんことを嘆願することをお許しください 〈写真:国立公文書館(東京都千代田区)〉
多くの人達の非常な関心の的
<嘆願書> 本事件の被告人45名中41名は絞首刑の判決を受けたのでありまして、その41名の中には、上は捕虜の処分を決定命令した海軍大佐の司令から、下は命令により銃剣刺殺に参加することを強制させられた水兵に至るまでを含み、更にその際には、この不法行為に何ら関与しなかった数名も含まれていると言われております その判決の厳しさは、たしかに他に例を見ないものであり、その様な判決が下されるに至った原因に関する様々な見解と共に、今やこの事件の結末は、多くの人達の非常な関心の的となっております 私は特に (イ)米軍軍事裁判の信用と権威の為に (ロ)日本におけるデモクラシーの発展の為に この事件の終局につき、深甚なる考慮がはらわれることを切望する次第であります 〈写真:マッカーサー元帥に提出された嘆願書の下書き(国立公文書館所蔵)〉