【競輪】不安と闘っていた神山雄一郎の本音「それに負けず信念を貫き通すことを忘れたくない」
競輪界のレジェンド、神山雄一郎引退の知らせを聞いた日刊スポーツ競輪担当記者や経験者たちが、惜別の原稿を寄せた。 【写真】引退会見に臨む神山雄一郎 ◇ ◇ ◇ 人事異動で競輪から離れて6年後、神山に取材を申し込んだ。元担当記者として企画した独占インタビュー。快諾だった。 「これは頑張らないと」。高揚感にあふれる一方、不安もあった。何しろ神山は05年名古屋オールスターを最後にG1で優勝していない。加えて全盛時の機動力は影を潜め、追い込み型に転身。「引退は時間の問題」との見方もあった。前向きなコメントを引き出したいが、できるだろうか。 そんな心配を吹き飛ばすように、神山は6年ぶりの再会を喜び、相変わらず競輪選手という仕事を楽しんでいた。「僕にとって、自力を出せなくなったことを理由に引退するのは“逃避”に等しいんです。自転車が好きですから、1年でも長く乗っていたい。そのためには、脚質を追い込みに変えることに対しても、何ら抵抗を感じませんでした。僕はレースの成績とか数字的な目標は設定しません。だから、何歳まで現役を続けようとかも考えないようにしています」。 神山が優勝した2つのビッグレースを思い起こした。05年名古屋オールスター決勝は、主導権を取った別線の番手を奪って差し切り快勝。11年松山G2サマーナイトフェスティバル決勝は、先行の3番手から直線一気を決めた。表彰式で流していた涙は、今も忘れられない。 「最近のG2のメンバーはG1並みです。そこで勝ち切るためにはどうしたらいいか、悩んで苦しみ抜いた末の優勝だったので泣けましたね。脚質転換の過渡期だった名古屋オールスターよりも達成感は大きかった。若いころに比べて体力は落ちていますから、練習時間を減らしたり、筋トレを取り入れたり、いろいろ考えさせられます。結果を出せるかどうか分からず、常に不安との闘いでした。それに負けず、信念を貫き通すことを忘れたくないですね」。 グランドスラム達成(99年)など自力で数々の金字塔を打ち立てた神山は、追い込み型に転身してからも歴史を次々に塗り替えた。G2最年長V(47歳=15年共同通信社杯)、G3最年長V(47歳=16年静岡記念)、そしてS級導入(83年4月)以降にデビューした選手では初の通算900勝(23年函館F1)。長らく輪界を支えてきたレジェンドにふさわしい戦歴だ。 インタビューは約束の30分間を超えて1時間に及んだ。あれから13年、真摯(しんし)に自分と向き合い、新境地を開拓し、完全燃焼した神山。欲を言えばもう1度、大舞台での涙を見たかった。いつの日か、また会って感謝を伝えたい。【93~05年競輪担当記者・藤代信也】