【不可解判定はなくならないか】五輪での“日本たたき”ルール変更の歴史、世界とのもう一つの戦い
連日、日本人選手の活躍でわくパリオリンピック(五輪)。前半戦は日本のお家芸、柔道や男子体操など得意競技が多く集まっていたせいもあって、日本勢のメダルラッシュとなっているようだ。 【写真】『スポーツルールはなぜ不公平か』 しかし、審判の判定を巡り、疑問符が付くケースも少なくない。近年はさまざまな競技で「ビデオ判定」の導入が進んでおり、五輪も例外ではないが、どんな最新機器を導入しても、スポーツファンの厳しい目からは「誤審」を疑う声が出る。パリ五輪でも柔道やサッカーなどで微妙な「判定」がメディアに取り上げられている。 筆者は以前から「誤審」を声高に訴える主張に対しては抑制的にとらえてきた。審判もスポーツを構成する重要な存在と考え、誤審も背後に意図的な悪意がない限り、「人間らしい」行為と受け止め、「誤審も含めてスポーツ」と思うからだ。だが、スポーツにビッグマネーがからむようになると、そんな悠長なことは言っていられない。 今回取り上げるのは、21年前に出版され話題となった一冊だ。さまざまなスポーツ分野で多くの著作を残している生島淳の『スポーツルールはなぜ不公平か』(新潮選書)。 生島がこの本を出したのは2000年のシドニー五輪と02年のサッカーワールドカップ(W杯)日韓大会の直後だ。当時を振り返れば、シドニー五輪では日本柔道の最重量級のエース、篠原信一が疑惑の判定負けを喫した。W杯日韓大会では韓国による審判買収疑惑まで浮上した。 また、02年のソルトレークシティ冬季五輪では、ジャンプ競技のルール改正により、日本の飛行隊はメダルゼロに終わった。日本国内で審判への不信が、スポーツルールにまで広がっていた時代でもある。
日本人が金メダルを獲ると変わるルール
本書は3部構成で、第1部は近代スポーツの発祥の地、英国でのサッカー、ラグビーのルールの変遷をたどった。第2部は主にバスケットボールを題材に、合理性を徹底して推し進めた米国流のルール運用を解説した。そして第3部が「日出づる国が世界と出会うとき」のタイトルで、日本国内のスポーツ事情にスポットを当てた。 第1、2部ももちろん興味深いのだが、今回は第3部の日本に関わる記述を読み解いていきたい。本文中にはないのだが、同書の背表紙にこんな文章が添えられている。 <日本人が金メダルを獲ると、なぜルールが変わるのか?> 確かに、日本人が五輪で金メダルを獲得すると、ルールが変更された例は少なくない。著者の狙いか、出版社側の狙いかはわからないが、同書が出版された大きな理由に、五輪のたびに繰り返される「日本たたき」への反発があったのではないかと推察される。 第3部で、最初に取り上げたのが大相撲だ。 03年1月、「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花が引退を表明した。著者は<貴乃花の引退によって、角界が昭和とつながっていた歴史の糸が静かに途切れたような気がする>(158頁)と書いたうえで、驚きの結果を指摘する。 同年初場所の格段優勝者は次の通り。 【序の口】琴欧州(ブルガリア)【序二段】闘鵬(兵庫県)【三段目】時天空(モンゴル)【幕下】黒海(グルジア)【十両】朝赤龍(モンゴル)【幕内】朝青龍(モンゴル) 序ノ口から始まって幕内最高優勝まで、6人中5人が外国出身力士で占められた。20年前から、既にそうだったかという感慨に襲われる。 著者は日本人力士の低迷について、相撲部屋特有の徒弟制度に耐えてまで相撲を続ける理由が見つからなくなり、新弟子の数が減少。それに代わって外国人力士が穴を埋めている――と分析する。