【不可解判定はなくならないか】五輪での“日本たたき”ルール変更の歴史、世界とのもう一つの戦い
「日本たたき」のルール変更
柔道は、国際化を進める中でルールが変わっていったと著者は指摘したが、それとは別に、日本が強くなったことでルールが変更された事例を取り上げている。 競泳では1988年ソウル五輪100メートル背泳ぎに出場した鈴木大地は、水中で抵抗の少ないバサロ泳法を完成させ、決勝では30メートルのバサロに挑戦、金メダルを獲得した。これに対し、国際水泳連盟は89年から「バサロはスタートから15メートル以内」とするルール改正を行った。 ほかにも68年メキシコ五輪では平泳ぎの田口信教がドルフィンキックを使って失格、田口の後継者、高橋繁浩が78年の世界選手権で頭が水没する泳法違反を取られたことを取り上げてこう指摘する。 <日本人が競泳で世界と対等に勝負できるのは、技術系とされる平泳ぎ、背泳ぎに偏る傾向がある。一方、自由形、バタフライは技術よりも身体能力がより重要になる泳法であり、日本人が世界と伍して戦うには、苦戦を免れない。技術系の2種目では、ルールの範囲内で創意工夫を凝らして泳法の研究が行われており、日本人選手が記録を連発するようになると、技術的な足枷がはめられることがしばしば起こっている>(192~193頁) 夏季競技だけではない。著者はスキージャンプ競技についても言及している。 92年の長野冬季五輪。日本は団体決勝で岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜のメンバーで大逆転優勝を飾った。同年夏、国際スキー連盟はスキー板の長さ制限を決める。スキー板を選手の身長の146%に制限するもので、平均身長の低い日本人選手を標的にしたルール改正ではないかという声が出た。 このルールが影響したのか、日の丸飛行隊は国際舞台で好成績を残せず、02年のソルトレークシティ五輪ではメダルを逃している。
著者はノルディックスキー複合でも日本の力をそぐ改正が行われたと指摘する。 92年のアルベールビル五輪と94年のリレハンメル五輪で日本の荻原健司らが複合で連続金メダルを獲得した。すると国際スキー連盟は95年、複合団体のメンバーを3人から4人に増やした上で、ジャンプのポイントを後半の距離のタイム差に換算するレートの変更を決めた。 それまでは、3人の選手の「合計ポイント」を時間に検算していたが、4選手の「平均ポイント」に変更した。ジャンプで大量リードする日本の「勝利の方程式」を大幅に縮小する効果が出る。 著者は改正の背景をこう見ている。 <ノルディックスキーは、北欧を中心に楽しまれる伝統ある競技だ。首脳陣からすると極東の島国、日本に金メダルを奪われるのは驚天動地の出来事だったという。(略)日本はジャンプの強化に力を入れたことが勝因となった。ヨーロッパの国々は、ノルディック複合のメインを距離競技においており、ジャンプはさほど得意ではない。(略)距離競技が始まる時点でほぼ、勝負がついているようなことが多くなってくる。日本人は距離競技を軽視している。邪道だ、という発想につながり、「ハンディが適正でない」という結論につながる>(195頁)