【不可解判定はなくならないか】五輪での“日本たたき”ルール変更の歴史、世界とのもう一つの戦い
五輪では、「柔道」とは別の「JUDO」に
日本国内にとどまった相撲に引き換え、柔道は積極的に海外に進出した。1964年の東京五輪で採用され、68年のメキシコ五輪では実施されなかったが、72年のミュンヘン五輪からはすっかり「五輪競技」として定着した。 相撲とは異なる道を進んだ柔道だが、海外とのカルチャーギャップと出会い、競技の持つ本質を大きくゆがめられたと著者は見ている。
<柔道の取材を続けていると、この競技にはふたつの顔が存在するのが分かってくる。まず日本人が思いつくのは、白い柔道着に身を包んだ選手が礼をしてからしっかりと組み合い、一本勝ちを目指す「柔道」のことである。(略)そして「JUDO」という競技も存在する。1999年、イギリス・バーミンガムで行われた世界選手権で見たものは、柔道とはそっくりではあったが、似て非なるものだった。目に見えて違うものがたくさんあった。選手は青と白の柔道着に分かれて戦う。コーチは畳脇の椅子に座り、審判のジャッジについてあれやこれやアピールする。全日本選手権では存在しない「KOKA」というポイントがある。選手がなかなか組み合わない。審判が下手。ざっと挙げただけでもこれだけの違いが柔道とJUDOの間にはある。選手からしてみれば、違う競技をしているようなものである>(180~181頁) こうした違いを指摘したうえで、著者はこう書く。 <なぜ、こうした違いが生まれてしまったのか。オリンピックで日本選手たちはメディアから、「日本選手は金メダルを獲得して当然」といった扱いを受けるが、まったく違う競技を「プレー」していると考えるべきで、よくそんな状況の中で、よくぞ金メダルを獲得し続けていると考えるべきかもしれない>(182頁) 今では、「KOKA」のポイントはなく、積極的に組み合わなければ反則負けにつながる「指導」を受ける。それでも、日本人が柔道の判定に納得がいかないケースが多かったのは、こうした「柔道」と「JUDO」の違いにあったのかもしれない。