戦時中に迫害されたブラジルの日系移民 「強制退去事件」の謝罪求める、家族にも語れない悲劇のトラウマ #ニュースその後
スパイ容疑で着の身着のまま汽車に乗せられ
ブラジルで大戦中に6500人が24時間以内に強制退去させられるなど数々の悲劇が起きていたことはあまり知られていない。地球の反対側で起きた戦争によって、日本移民にも深刻なトラウマがもたらされた。 この7月25日にブラジル連邦政府の市民権人権省の恩赦(アムネスティ)委員会では、日系コミュニティへの金銭的補償を伴わない集団的賠償の審理が行われる。 集団的賠償を求めているのは、①終戦翌年1946年に起きた日本の敗戦を認めずに日系社会で起きた「勝ち負け抗争」の際に、1千人以上が警察に大量検挙され、うち172人の大半は何の罪もないのに聖州海岸部のアンシェッタ島に収容されたという事例と、②大戦中の1943年に起きた日本移民6500人のサントス強制立退きと二つの事例だ。申立人は、ブラジル沖縄県人会とこの運動の発起人である奥原マリオ純氏だ。 今回は後者のサントス事件に関して取材した。1943年前半、ドイツ潜水艦がサントス沖でブラジルやアメリカの商船を沈没させた。ブラジルのゼッツリオ・バルガス独裁政権はサントス沿岸部の枢軸国移民(日本、ドイツ、イタリア)にスパイがいて手助けしたに違いないと判断し、1943年7月8日に24時間以内の強制立退きを命じた。イタリア移民は数が多すぎて立退き不可能とされ、結局、日本移民6500人を中心に100人以上のドイツ移民も退去させられた。 24時間以内――それまで数十年がかりで築いてきた財産を投げ売り、置き去りにせざるを得なかった。銃を手にした警察官に見張られる中、旅行鞄二つだけを手に汽車に乗せられて、サンパウロ移民収容所に着の身着のままで送られた。 立退きの通達があった際、夫が出張中や、漁師で海に出ていて離れ離れになり、妻が身重でも警察は容赦なく追い立てたとの証言が、サントス強制退去事件を特集した『群星別冊』(ブラジル沖縄県人移民研究塾、2022年4月刊行)には書かれている。涙なしには読めない1冊だ。立退きのショックに精神障害になった人もおり、多くの被害者は生涯にわたって影響を及ぼすトラウマを残した。 鬼編集長も講演中に涙するほど過酷な日本人が知らないブラジル移民 「戦争と日本移民」の歴史 を見る