戦時中に迫害されたブラジルの日系移民 「強制退去事件」の謝罪求める、家族にも語れない悲劇のトラウマ #ニュースその後
「連邦政府が間違いを認めることは大事だ」
1992年に当時のサントス日本人会会長の上新(かみあらた)さんは日本人学校返還運動の署名を始め、当時の市長らに働きかけた。1994年に連邦下院議員だった伊波興祐(いはこうゆう)にお願いし、連邦議会で返還法案を出してもらった。だが提出された法案を実際に議会で審議してもらうには、連邦議員に強く根回しする必要がある。1世長時代にはそれが難しかった。 それが動き始めたのは、次の遠藤浩会長が当時金星クラブ会長だった中井さんら2世に政治家への働きかけをお願いした2005年からだ。そこから活動が本格化し、2006年に建物の利用権返還を実現させた。 中井さんは「遠藤さんは僕らを信用してくれた。当時は軍政時代の見直しを進めていたルーラ大統領が2期目の選挙をするタイミングで、それに乗る形で、ヴァルガス独裁政権の見直しとして政治家に訴えたら動いてくれた」という。軍から連邦政府国有財産局に戻し、ルーラが同管理局から日本人会に利用権を譲渡する形になった。
中井さんは2008年からサントス市議会議員を12年間務める中で、地権返還法案を連邦議会の審議にかけるために市長や連邦議員に根気よく働きかけた。その結果、1994年に提出された返還法案が、2018年にようやく連邦議会で承認され、建物の地権が日本人会に正式に戻された。 中井さんは「祖父は日本人学校の返還のことは一度も言わなかった。戦争直後から軍が使っていたし、大戦前には日本人会が解散させられていたから、最初から実現不可能な夢だと口にも出さなかったと思う。でも2003年に反軍政のPT政権になって、サントスで大戦中に起きたことに共感を得られる可能性が生まれた。今もPT政権だから恩赦委員会の審議も同じような政治環境にある」とみている。 7月の恩赦委員会に関して意見を聞くと、「残念ながら被害者の大半は死んでしまった。そして事件自体が知られていない。でも、だからこそ連邦政府が間違いを認めることはとても大事だ」とうなずいた。 ※この記事は、ブラジル日報とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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