ハリス氏惨敗の背景に「アメリカ中流階級の生活苦の悲鳴」が聞こえる
民主党はなぜ敗れたのかー。経済指標は良好で、株式相場も絶好調とバイデン政権は自画自賛していたが、猛烈な物価上昇に苦しむ多くの庶民に実感はなかった
ミネソタ州グランドラピッズで生活する5人家族の母親、クリスティン・マディ(44)は、少しでも出費を切り詰めるために安売り店で買い物をし、旅行に行くのも控えている。食品価格の上昇を乗り切るために、ニワトリやガチョウやカモも飼い始めた。【ジョシュア・レット・ミラー(本誌記者)】 【動画】投票所で「お願い、列から離れないで」と歌い出すアン・ハサウェイ サブリナ・カーペンターの曲をアレンジ マディは看護師として「立派な給料」を受け取っていて、夫のライアンも重機操縦の職に就いているが、一家の暮らしはギリギリだという。ところが、相次ぐ利上げによりインフレが沈静化し、景気が冷え込むことなしにアメリカ経済がソフトランディング(軟着陸)に成功するという見通しを示す人たちもいる。 ジョー・バイデン米大統領もその1人だ。8月半ばには、新型コロナのパンデミックとロシアのウクライナ侵攻をきっかけに急速に進行したインフレを克服できたと思うかと尋ねられて、こう述べている──「ソフトランディングできそうだ。私の政策は効果を発揮しつつある。そう書いておいてくれよ」。 マディはこの主張に真っ向から異を唱える。「現実が全く見えていない。私たち夫婦の給料は合計で年間17万5000ドルくらい。出費はどうにか賄えるけれど、手元にお金は全く残らない」 インフレの影響はあまりに大きいと、マディは言い切る。「今まで買っていたものが2倍、3倍に値上がりしていて、危機感を覚える」
「いつも決まって中流層が一番損をする」
コロナ禍以前は、中流であるマディ一家の経済状況は安定していて、よくデパートに買い物に行き、いちいち値札を確認せずに買い物をしていた。今は「買い物の仕方がすっかり変わってしまった」と、マディは言う。 「娘の誕生日のための買い物も1ドルショップで済ませている。昔は、こんなときは(大手スーパーの)ターゲットやパーティー用品のお店で買っていたけれど、それはもう無理になった」 食品も近所の食品スーパーでは買わなくなったという。安売り店でまとめ買いをするようになった。大手スーパーと比べると、価格が3割くらい違う場合もあるからだ。 「ストレスはとても大きい」と、マディは語る。「以前と同じようには買い物ができなくなったし、最近は旅行にも行けなくなった。生活のいろいろな局面で倹約と貯蓄を考えなくてはならない。クリスマスの過ごし方も様変わりしてしまった」 26歳の息子ジャックの暮らしも、ゆとりがあるとはとうてい言えない。海軍を除隊し、今は警察官として働くジャックは、出費を賄い、住宅ローンを返済するために、週に80時間働くこともあるという。 「いつも決まって中流層が一番損をする」と、マディは語る。 「政府による支援プログラムの受給対象には当てはまらず、そうかといって生活苦を感じずに済むほどの収入もない。日々の食料品を買えないという心配はないけれど、かなりあくせく働かなくてはならない」 日々の生活の苦しさを訴える人たちがいる一方で、アメリカの株式相場は目下、絶好調と言っていいだろう。今年5月には、ニューヨーク株式市場でダウ平均株価が史上初めて4万ドルを突破した。 こうした株価の上昇を受けて、大企業のトップたちは、庶民には想像もつかないような巨額の報酬を受け取ることが可能になっている。 アメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)が8月に発表した調査によると、アメリカの代表的な株価指数「S&P500」を構成する企業のCEOが昨年1年間に受け取った報酬は、平均的な働き手が5回以上の勤労人生を送らなければ稼げない金額に達しているという。 例えば、スターバックスのCEOを退任したばかりのラクスマン・ナラシムハンは、1400万ドルを超す報酬を受け取っていた。これは、2023会計年度に平均的な働き手が受け取る給料の1028倍に上る。 しかし、後任のブライアン・ニコルはさらに上を行く。9月9日にスターバックスのCEOに就任したニコルは、1年目だけで1億ドル以上を受け取る可能性がある。成果に連動して報酬が決まる面が大きいためだ。 【政府の楽観論に抱く違和感】 インフレ脱却をめぐるバイデンの楽観的な発言に、こうした途方もない格差の存在が合わさって、多くの中流層は政府との間に大きな断絶を感じていると、マディは指摘する。 「現政権から無視されているという思いを抱いている」と、マディは言う。 「経済は堅調だという政府の言葉を聞くと、突き放されたように感じる。そうした主張は、私たちが日々の生活の中で体感していることと全く違う」 楽観できる材料がないわけではない。7月には、インフレ率が2.9%まで下落した。これは21年3月以来最も低い値だ。7月には、小売業の売上高も市場の予想を大きく上回り、前月比で1%増加した。 しかし、食品や住宅、その他の必需品やサービスの価格が上昇し続けている状況が人々の心理に及ぼしている影響は極めて大きいと、エコノミストたちは指摘する。 投資会社ワーニック・スピアー・ウェルス・マネジャーズのファイナンシャルアドバイザー、ジョーダン・ロドリゲスによれば、同社の顧客である投資家たちの間では、インフレが最大の関心事であり続けている。中小企業のオーナーの場合、その傾向がとりわけ顕著だという。 「(中小企業のオーナーたちにとって)最大の不安材料は景気減退ではない。製造業やそれに類する業種では、受注はたいてい減っていない」と、ロドリゲスは言う。 「最大の不安材料は優れた人材の確保でもない。ほとんどの経営者は、インフレが最大の不安材料だと言っている」